2011-10-19

Twitterのふぁぼ文化について

半年ほど、Twitterのふぁぼり合いをするクラスタで活動していたことがある。

今考えれば大しておもしろくも無いネタを書いて

身内に馴れ合いでふぁぼって貰っていただけなのだが。

当時は自分はたいそうおもしろいことを書いていると思い込み、

人気があるんだと思い込み、やっているうちに一種の中毒になった。

ふぁぼられやフォロー関係がいついかなる時も気になるようになり、

いつしかTwitterでちやほやされたいがために生活の大切な部分が疎かになるようになった。

大事時間や関係や経験も幾つか失ったと思う。

オフ会などに繋げるつもりはなく、所詮ネット越しのつながりしかない人間を、

リアルの交友より優先するようにすらなってしまった。

その界隈で特に人気のある人に媚びるようなことも毎日必死にたくさんやった。

四六時中TLに張り付いて、休日殆どTwitterばかりだった覚えがある。

ある日、もともと大したことを書いてたわけじゃないのに、

ネタも尽きてきて、フォロワーから最近まらないと

リプライがとんでくるようになり、とうとうアカウントも消した。

このままこんなくだらないものを続けて、破滅に向かうのは嫌だと思ったからだ。

それからリアルの知り合いからその行為について警告が出るようになったのもある。

結局Twitter自体はやめられず鍵アカウントを作って知り合いと細々使っている。

時々、当時の知り合いのPOSTがRTなどで回ってくると、

よくこんなことを飽きもせずに続けられるなあ、と複雑な気持ちになると共に、

手軽に承認欲求を満たせるあの麻薬のような仕組みを怨むような、

うらやむような、嘲笑したいようなそんな複雑でうんざりな気分になる。

ネタクラスタやふぁぼ狙いの長文ツイートは気持ち悪い」とばっさり切り捨てたいのだが、

過去自分のしてきたことだからなのだろうか。

さっさと忘れたいなら鍵垢も畳んでしまうべきなんだろうな。

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