2011-09-11

何を書くかどうかは、キーボードの赴くままに。

中学生の頃、早口だと指摘されてから、治そうとすることで吃音になってしまった。うまくしゃべることができない。頭の中にある言葉が出てこないなんて、想像できるだろうか。商店で物を買う際に、「何々をください」の「何々」が言えなくて困る自分と、こいつは何をやっているんだという視線を浴びることに耐えられなかったし、男同士なら何とかなっても、女の人になるととたんにだめだった。体格もとてもではないが、お世辞にもいいとは言えない体格で、柔道でもやっているのとか、床屋で聞かれる様なことが当たり前だった。もちろん、柔道なんてやってないし、逆に柔道技をかけられる専門だった。自分に自信を持て、などということはなかなかに出来なかった。まぁ、10代はただのヘタレであった。

勉強もできるほうではなかった。できる教科も限られ、それらの教科を集めて3教科で大学入試を戦い、それなりの大学には入れた。状況は少しは改善したが(吃音含め)、さほどではなかった。一般的な人生から外れていく20代を過ごし、今は何とか一般的なのかなと思えるところにいるが、それもいつまでとどまれるかもわからない30代。20代は必死だった。生きるために必死に耐えることを学んだ。女性との付き合いもあったが、結局は破綻することになった。良い別れなど、何一つなかった。20代は何というか、あっという間に過ぎた。自分立ち位置を探すのに精一杯で、自分のことしか考えていなかった。後悔ばかりの20代だった。

さて、ひどい経験が、間違った経験則をもたらすことがある。もう誰も好きにならない。好きになっても、どうせダメなんだし、そもそも、誰が僕など好きになるのだ。そうだ、恋愛なんて。これは結局のところ、誤った経験則であったことを最近になって悟らされた。何とも虚無的な時間を過ぎしたのだろうと慨嘆する。年をとることはいいことなのだと思う。心に余裕も出てきて、20代のあの余裕のなさは一体何だったのだと、今にして思うが、必死だったあの頃がなければ今の自分はない。今でも少し出てくる吃音にはさすがに閉口するが、長いかどうか分からない人生、生涯付き合って行こうかと思う。

最近告白をして、見事なまでにフラれた。残念ではあるが、とにかくも、誰かを好きになることができた自分に驚いた。彼女には感謝しなければならないと思い、それを伝えるとさすがに変な顔をされたが、そのあとの彼女の浮かべた、何とも素晴らしい笑顔に、何かが吹っ切れた気がした。彼女を好きになったことに後悔はない。今度、僕は誰を好きになるのだろう。

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