特に理由を探さずに、「この人はもともとこういう人だから」ってしちゃうと、そっちのが夢も希望もないと思うんですよね。
結局何種類出てくるんだよ
仮に一見普通だとしても、付き合ううちに「ゲッ」となるような歪みが見えて引く。
腐女子は身持ちも職も堅い人、多いと思うよ。
ちげーよ。
お前が他人に対して非コミュとしての態度を取る方が自分が楽とか他人と関わるのが面倒だと思ってるから非コミュになってるだけだろ
んで歳とってきて非コミュじゃダメかもしれないとか思い始めた時今まで自分が選択してきた理由を他人のせいにしてるだけ。
いい加減現実見ろや
>卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
これと
>すなわち、増加している中高生の自殺は、インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮がかなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これ
前者はいわゆる出会い系サイトや売春を促進するサイトといった、性に関わる暴力の事を言ってるのか
また、後者は誹謗中傷を日常的に行い、歪んだ価値観に基づいた情報を発信がされているという事を言ってるのか
つまりは、具体的にどのような現象が中高生の精神に影響を与えているのかが伝わらなかった
また、その精神への影響がどうして自殺に繋がるのかがいまいち理解ができなかった
ところで、警察庁が公表した「平成22年中における自殺の概要資料」による結果は以下のようになっている
まず、19歳以下の自殺者数は543人であった
家庭問題が理由の自殺者は男女合わせて97人であった
学校問題が理由の自殺者のうち、「その他進路に関する悩み」が47人で、「学業不振」が43人であった
健康問題が理由の自殺者のうち、「病気の悩み・影響(うつ病)」が58人で、「病気の悩み・影響(統合失調症)」が28人、「病気の悩み・影響(その他の精神疾患)」が32人であった
家庭問題が理由の自殺者のうち、「親子関係の不和」が38人、「家族からのしつけ・叱責」が29人であった
健康問題のうち、統合失調症は脳の神経物質の分泌異常であるとされている
なので、インターネットなどの影響によって統合失調症になることはないと考える
うつ病に関してはインターネットなどから受ける影響によって発症する可能性もある
http://anond.hatelabo.jp/20110815171717
「釣り臭い」と自分でも思ってるし、信じられないが本当のこと。
30歳手前、彼女いない暦=年齢(風俗に行ったことも無い真性童貞)の自分に彼女が出来たのだ。
恋愛に必死ではなかったとはいえ好きな人は普通にいたし、自分なりにアタックもしてきた。
それでもフラれ続けてきた。コミュニケーションもド下手くそな人間です。
いろいろ省くけどデートの最後、すごく雰囲気が高まってキスをした。
女性と付き合ったことないんだから当然今までキスなんかしたことない。
どうすればいいかわかんなかったけどドラマとか映画とかで見たようなのをイメージして
やってみたら意外と形になった。上手いか下手かは別問題。
※こういう雰囲気になったときの女性って目がとろーんってなるんですね。
今まで女性と手も繋いだこともなかったしキスもしたことなかった。もちろん未だに童貞。
初めて彼女が出来ても、手を繋いでも、キスをしても男としての自信なんてつかないんだってこと。
今までは彼女が出来たら男としてもっと自信がつくものだと思ってた。
けど本当に何にも変わらない。キスをした翌日からも普通の毎日をすごしてる。
この先も職場で地位があがるようなことも無いだろうしモテキも絶対に到来しない。
さっきも書いたけど彼女が出来ても男としての自信なんてつきはしないんです。
完全に持論ですけど。
自分に自信が無い⇒モテない⇒もっと自信がなくなる⇒さらにモテない・・・というスパイラルに陥るから
どこかでこの負の連鎖を切って抜け出そう。
今、学生の子達はコンプレックスも持ってると思う。太ってるとか顔がブサイクとか。
でも正直社会人になったらあんまり関係なくなるよ。学生時代ほど気にしなくなるから。
嘘はダメだけど何事にも堂々としていればいいと思う。
EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。
A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)
https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms
pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空の名前。ペンネーム
個人が生来の名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済的報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。
オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからのオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。
仮名での発言は歴史的にも重要な役割を果たしてきた。ジョージ・エリオットやマーク・トウェインの文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアスの政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。
Google+の身元確認ポリシーから、オンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+はユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報を提供せよ」という要求と似ている。Googleのポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームがアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。
ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名はユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキングや嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。
これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。
例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイードが警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月に管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookのスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。
個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティのティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者やパートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治的見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。
マッキンタイア対オハイオ選挙委員会の裁判でジョン・ポール・スティーブンス最高裁判事が提案したとおり、
「匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的、不寛容な社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利は詐欺的行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会は言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」
「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう。
ギークフェミニズムのブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々をWikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。
Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名はJing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来の名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された。10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebookは実名ポリシーの厳格な強制を主張した。
Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。
「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。
GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシーを作成する権利がある。しかしこれらの企業が多様性や表現の自由を犠牲にしておきながら、「実名」ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。
開発終了といってもずいぶん前から更新は止まっていたわけで、明確に開発終了が宣言されただけで公開終了になるわけではない。
しかし FFFTP といえば FTP クライアントの定番なので、ネット上で様々な意見が飛び交っている。それについて思うままに書き散らかしてみる。
みんなが「ホームページ」なるものを持ち始めたころ、ファイルをアップロードするのに使ったなつかしい思い出がある。BlogやWikiのようにオンラインで編集できる時代になったことへの感慨も含むのか。
もちろんFTPがプロトコルとしてセキュアでないことは言うまでもないが、いまだに業務で使わざるを得ないことがある。LAN内の転送なら速度は最強かもしれないし、FTPのミラーサーバは世の中にごまんとある。短絡的に「オワコン」の一言で片付けられる問題ではないだろう。
ほとんどのユーザはお客さん気分であることを再確認し、「FreeBSD への貢献」をたたき込んだ自分とは違う人種だと思った。
もともとFTP以外の通信プロトコルを想定して設計していないだろうから難しいように思う。ただ、ユーザは動いているプログラムの中のことなど考えない。
モチベーションが低下する理由ってたくさんあるなぁと。長続きしているオープンソースプロジェクトはすごい。
死ぬべきというか既にひっそり死んでいってるのでは
~~すべき、という主張にそのツッコミはないわw