2011-07-27

愚か者への復讐

前略、説教題に戻ろう

聞くだけ聞いて自ら成長をしない愚か者どもを私は助長する

私は私の悪意(悪意については下記と同義である)によって愚か者を、私の背中と頭に乗せ高いところに運んでやる

汚らわしくて愚かなものが最もその特徴を発揮するのは、相応しくない場所に立った時である

そして、何よりも愉快なのは、その哀れさに愚か者が気付かないことである

愚か者が高い所に登ろうとする度に背に乗せてやることで、私は愚か者の登る意思と能力の萌芽を破壊するのだ

私が行う愚か者への復讐とは、そういうものである

参考の言葉

同情するもの自分は強者であると信じている。だから助けることができるとあらば、すぐにでも介入したくなる。

誰も学ばない、誰も知ろうとしない、誰も教えない。――孤独に耐えることを。

あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである

我々はたえずなにかを『逃し』はしまいかと思う者のように生きている。

『何もしないよりは何でもいいからせよ』という原理が全ての文化の高級な趣味の息の根を止める。

ここにはまことの男が少ない。だから女性男性化する。つまり、本当に男らしい男だけが女の中に女を解き放つ。

多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。

他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。

独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの

あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である

生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことである

自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。

怪物と戦う者は、その過程自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。

深淵のぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。

人間は行動を約束することはできても、感情約束できない。

自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。

話題に窮したとき自分の友人の秘密暴露しないものはまれである

悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするのではなく、われわれ自身の享楽を目的とする。

自分について多くを語ることは自己を隠す一つの手段でもありうる。

日常生活で人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。

神様が嘘をつくことを禁じたからではない。それは第一に嘘をつかないほうが気楽だからである

高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!

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