2011-03-26

現実ってなんだろう

必然性現実性と可能性の綜合なのではなく、現実性が必然性可能性の綜合なのだ』 - セーレン・キルケゴール


 キルケゴール現実というものに、多くの価値を置いた。

 逆に言えば、キルケゴール現実逃避糾弾した

 現実から逃げる者、現実を誤魔化す者を糾弾したである


 ところで、現実とは何だろう?

 キルケゴールによれば、現実性とは、神なるものとの関わりによって生じた事実の積み重ねであるそうだ。


 しかし、現実定義は人によって異なることが多い。

 神の前に祈ることを現実なのだと唱える者もいれば、会社家族に尽くすことが現実だと言う者もいる。

 で、現実とは何だろう?


 それは結局のところ、我々が最も大きく価値を置いているものとの係わり合いから生じるものなのではないだろうか?

 それはたとえば、神であり、恋人であり、家族であり、未来であり、未知であるところのものから生じるものなのではないだろうか?


 また、現実とは、すなわち『意味を有すること』ではないだろうか。

 というのも、意味の無いことは、現実的ではないからだ。

 意味の無いことばかりを行っている人間のことを、『現実逃避を行う者』と糾弾することは容易い。


 また、意味がどのようにして生まれるのかと言えば、各々が重要だと思う物事と、各々との係わり合いによって生じると言えるのではないだろうか。

 というのも、重要でない事柄との関わりによっては、意味が生まれようもないからだ。

 どうでもいいものとの関わりを、我々は無意味と呼ぶ。


 我々は、無意味なこと、現実的で無いことに対して、できるだけ係わり合いを持つべきではない。

 というのも、そのような関係は、往々にして空虚であろうからだ。

 我々は、常に、重要なものとの関わりによってのみ、意味現実を生み出していくべきなのだ。

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