『必然性が現実性と可能性の綜合なのではなく、現実性が必然性と可能性の綜合なのだ』 - セーレン・キルケゴール
ところで、現実とは何だろう?
キルケゴールによれば、現実性とは、神なるものとの関わりによって生じた事実の積み重ねであるそうだ。
神の前に祈ることを現実なのだと唱える者もいれば、会社や家族に尽くすことが現実だと言う者もいる。
で、現実とは何だろう?
それは結局のところ、我々が最も大きく価値を置いているものとの係わり合いから生じるものなのではないだろうか?
それはたとえば、神であり、恋人であり、家族であり、未来であり、未知であるところのものから生じるものなのではないだろうか?
また、現実とは、すなわち『意味を有すること』ではないだろうか。
意味の無いことばかりを行っている人間のことを、『現実逃避を行う者』と糾弾することは容易い。
また、意味がどのようにして生まれるのかと言えば、各々が重要だと思う物事と、各々との係わり合いによって生じると言えるのではないだろうか。
というのも、重要でない事柄との関わりによっては、意味が生まれようもないからだ。
我々は、無意味なこと、現実的で無いことに対して、できるだけ係わり合いを持つべきではない。