ただいま就活の真っ最中にいる大学三年生です。大学院に行って研究職につくべきか、それとも就職をするべきかで悩んでいます。
それなりにいい大学に通っています。学生団体を作ったとか、そういう華々しい経験はありません。英語は出来る方で、TOEICは900点以上あります。
ゼミの代表をやったり、大学生活は充実しています。学問においては、ゼミの中でも人一倍学んでいる方で、教授にも院に行くことを進められています。
論文を批判的に読んで何か改善点はないか考えたり、そういう作業は好きですが、同時に何かを協働して作り上げていくという作業にもやりがいを感じます。
自分でも頭は悪くないと思っているので、今から必死に努力すれば何とかなると考えています。志望は総合商社、メーカー(重電)などです。
ベネフィットとしては、安定的な収入が得られるということです。無暗に食いっぱぐれることはないでしょう。
コストとしては、もしかしたら自分のやりたいことが出来ないかもしれない、また万が一倒産した時の身の振り方です。
学者になるにしてもある程度の適正はあると思います。ある程度、学者になってどういうことをしたいかということも頭にあります。
ベネフィットとしては、リスクをある程度自分でコントロールできるということ、あと自分の生き方を自分で決めることができるということです。
コストとしては、生涯賃金が恐らく企業に勤めるのと比べて非常に低いであろうこと、そして職を失う、もしくは得られないリスクは高いということです。
ここまでコストベネフィットを述べてきましたが、僕の持つ根っこからの疑問として"このまま日系企業に勤めてやっていけるのか"という疑問があります。
これから日本は確実に衰退していきますし、トップヘビーな企業構造を維持するために、僕の世代の生涯賃金は非常に安くなると思っています。
また一生懸命働いても、定年まで勤められることは恐らくないでしょう。そのとき、再就職が可能になるほど日本の労働市場が流動化しているとは思っていません。
こう考えると、実は日系企業に入って定年まで勤めあげようということ自体が非常に大きなリスクだと思えてきます。
そして実はある程度フリーランスの職業で働いた方がリスクを自分でコントロールできる分、将来性があるのではないかと思っているのです。
会社を定時で帰り、少しだけ喫茶店で勉強をして帰ることが多いのだけど、今日は隣に女性の二人組が座った。一応別の席ではあるが距離は間近で、隔離された感はほとんどない。それなのに会話は「脇毛脱毛」とかの話題。ふぅむ、懐かしいぞこの感覚。そうか、高校生の時の女子ばかりのあの教室か((文系の進学クラスだったので、男女比が1:9くらいだった))。なぜ女性たちはおれの存在を無視するのか。間近にいるのに、まるでいないかのように振る舞うのか。それもごく自然に、何の違和感もなく。
きっと、自分がそういうオーラを放っているんだろうな。歯牙にもかける必要のない小粒な人間に見えるのだろう。男性として見てもらいたいなんて欠片も思わないほど、男として一切魅力のない風貌と雰囲気なのだろう。
どないせいっちゅうねん。
そう、でもそれが真実だから仕方ないのよな。ええ、小者ですもん。
会社にいると、人としての尊厳を失っていくように感じる。誰とも話さない。世界と断絶。どれだけ仕事に疲れても、できない気分転換。息が詰まる。世界は一ミリも広がらないし、会社にいる時間はずっとみじめだ。もう、人が怖い。
それでも粛々と仕事はこなしているんだよ。これはほんとにそう。そこだけは、最低限を割ってしまうとほんとに自分は壊れてしまうからね。
一人ぼっちで仕事をこなして、会社の後に一人で勉強。そんな生活をして、存在を無視される自分。この先、希望はあるんだろうか。どうしたらいいんだろうか。どうして、気軽に人と話せないんだろうか。
まず友人に話すかどうかというのは考慮にも値しない。
お前にリアル友人が何十億人という単位でいて、そいつらみんなに話した結果、俺の性癖がイカれているというなら、お前の主張には同意するよ。
常識のたぐい
お前他の増田でも同じようなことひけらかしてるからもう一度書くけど、お前の常識は俺の常識ではないし、リアル友人や家族に恋人の常識であるとも限らない。だからさっきもお前を無敵の人と書いたし、事実お前は自身の世界がすべてだと思い込んでいる。
おとなしく言えばいいだろ?「俺が基準で他は異質で気持ち悪い。差別されてもしょうがないよね気持ち悪いから」とね。それで何人友達が君の標準から漏れて異質になるかは俺の知ったことではないけど。
お前の友人一人ひとりからみな「実母のような属性は嫌だ、息子ならば忌むのは当然のものだ」と言質を得ているのか?そしてそれはお前の自説を一般化させて相手に強いるまでの信頼性を得ているのか?
何十億人のデータだ。プライバシーなどあってないようなものだからな。気にすることはない。
先に書いたように、そのソースの提供を受けての返事はないがな。
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評価の根本に、「http://d.hatena.ne.jp/haruna26/20110216/1297867931」の内容が関るようだけれど、
これをあなた自身はどの様に評価しているの?
これを書いた人物を、ゆとりの中の普通の人と評価しているのかな?(これも推測に過ぎないけれど)
「ゆとりをゆとりと呼ぶ奴が一番ゆとり」の人物定義はどういうものなのだろう?
今のところ、あなたがダメ人間と定義した人(わら人形)を、ダメ人間と呼ぶだけの文章だけれど、それにどの様な意味があるの?
端的に書くと、誰と戦って居るの?
世代対比のようで居て、個の対比を書いて居るのだけど、駄目なやつは普通の奴に劣るという極当たり前のことをしたり顔で書くのはどうして?
個の対比なら、当然そうなるよね。
まず「どちらが」ということは問題にしていない。
http://anond.hatelabo.jp/20110217201308
足りないアタマで導き出した答えがそれならオナニーでもして寝ろ。
他人の性癖に付き合ってる暇もない上、「おれの気持ち悪さをみんなも共感してくれているに違いない」などというお前のお花畑に付き合った俺がバカだった。
ところで、お前女だろ。いや、女であるかどうかというのは些事か。
お前、ブスな女が嫌いな男はかーちゃんがブスだったからだなんてアホなこと言い出しかねないレベルなんだが、わかってんのか?w
港区役所が、台場地区から品川や田町に向かうバスを強化するらしい。
新幹線や羽田空港から台場への観光客を増やしたいという思惑のほかに、
区役所等公共施設がある田町へ、住民がアクセスしにくい状態を解消したいらしい。
有明と一緒に江東区になった方が自然で、「対馬が福岡県じゃなく長崎県」というくらいに
違和感がある。
というか、人口が急増した臨海地区は、むしろ「臨海区」として東京24番目の区として
台場を江東区にしても、台場住民が江東区役所に行くのに不便を来たす訳だし、
有明と深川が同一行政区、というのは、まとまり・一体感の点でも不自然だ。
(まあ、蒲田と田園調布が同じ大田区じゃないか、と言われたら反論できないが)
ところで、晴海地区も銀座とのLRT構想(By中央区)が浮上したように、
行政が想定する交通インフラ需要予測をはるかに上回っている」という問題点が
露呈してきた気がする。
火災報知器の普及率は、「義務化済自治体」でも70%程度らしい。
耐震診断は、新宿区で「診断への補助金制度」を用意しても、実施者はゼロだったらしい。
中央区で「高齢者が民間賃貸住宅への入居をあっせんする窓口」を用意したが、
(孤独死されると困るので、貸さない、という民間家主のハードルが高かった)
「政策目標を、いかに住民等に実現してもらうのか?」という「政策実現テクニック」が
あまりにも「下手」じゃないか?
お役所は「●●した人には、半額補助金出します」的な政策テクニックが大好きだが、
そういうテクニックが、果たして「最少費用で、最大の政策効果を上げる」のに適切な手法だろうか?
自分だったら、
「●●したい人、自分の負担上限額を書いて応募してください」として、「入札」させる。
耐震診断であれば、予算枠5億円であれば、「自己負担割合が高くてもいいから耐震診断したい」
という人から順番に、予算枠5億円使い切るまでの人に耐震補助を実施する。
役所が勝手に「補助率は半額」と決めて実施ゼロになるより、よほど有効に予算が使われる。
「いかに政府・自治体の政策を実現するか?」というテクニック論について、
政策実現の方法学、とでも、言えばいいのか。
なんだそりゃ。
こういった「俺が知ってるものが基準」のような奴が人の性癖なりなんなりに文句言ってくるから咬み合わないんだよなあ。
相手が間違っていても間違っていることを正当化して無敵の人になってるし。
もう少しまともな文章書こうぜ。
結局、だらだらと長文を書いたところで、人の心に引っかかるのはたったの一言だったりする。その一言がひっかかって、人を動かしたり、唸らせたり、止めたりする。だからこそコピーライターなんて職業が成り立つわけで。
なぜこんなことになるかといえば、概して人は自分の認めたいものしか認めないためだ。仕事や学業以外の、いわゆる第三者的な視点が入り込まない趣味の空間では、誰しもが自分の見たいもの、聞きたいものにしか関心を向けない。デイリーミーなんていったのは誰だったか忘れてしまったが、インターネットなんてメディアではその傾向がことさら強くなる。だから、文章の中にはたった一言のスイッチがあればいい。それがいかにキャッチーか、あるいはセンセーショナルか、はたまた誰かの願望を適切に表現しているか、それだけだ。その一言さえあれば、人々はそこに列をなしてコメントするし、ブックマークだってする。
思いつきで長文を書こうとする前に、人を動かす一言を考えよう。それさえあれば、結構な確率で人は興味を示す。それがあなたの書きたいこととは関係なくてもね。
ほんっと頭悪いなコイツ。
それともあれか?
書いたものとか、作ったものにも興味がない。
息子のにも、妻のにも興味がない。
記憶できるぶんだけでいい、忘れたらそれまでって感じ。
理解はできないけど、反対はしない。
まったくもって理解できない。
そんなもの、どうするの?
研究内容だけど、新しいことはそこそこ見つけたし論文もそこそこ出したけど、でもこの系が完全に解明されました、というところまでは到底持っていけなかった。
博士の学位って、新しいものを確立しきって初めてOKのようなイメージがあったし、修士のような途中経過じゃ許されないと思ってたので、卒業は延ばそうと思ってた。
しかし、D3の春にお会いした先生からお声がかかり、ぜひ来年からポスドクできてくれ、と言われた。
そこでうちのボスは快く承諾。
と電話で元気な返事をしているのを聞いた。
いや、声かけてくれたのはすごく嬉しいし、こんなご時勢に就活もせずにオファーが来るなんてありがたいものだ、とは思ったけど。
「学位どうすんのよ?」っていうのが素直な気持ちだった。
今更新しいことできるわけもないけど、なんとか知恵をしぼって新しい仮説を創造して検証をする。
まあ、散々考えた末に行き詰ってたわけで、無理やり考えた説をもとに急に頑張っても成功するはずもなく。
結局、不完全なまま、そこそこ確立されたかのように博士論文を書いて挑むことに。
だから、自分の研究の足りなさは自分が一番わかっているし、ただ卒業するためだけのための日々の作業でストレスがたまりまくる。
この作業って研究とはかけ離れてるし、学問的な価値もない、ただ学位だけのためだよなあ、と思うほどつらい。
だからしなきゃいけない。
同じラボに何年もいたら腐ってくるし。
で、そういう雰囲気が伝わってたのか、准教授の先生はなぐさめてくれた。
「学位を出さないってことにはならない。文句を言われるのは俺らの役目だから」
そう言ってくれた。
ボスは、大丈夫大丈夫! しか言わないし、クリティカルなアドバイスもなし。
思ったとおり、大炎上。
さすがに教授陣、迫力があって圧倒される。
そしてそんなに間違ったことは言わないので、つい認めそうになる。
でも、先生の指摘は正しくても、俺の説を否定するのは間違ってるんじゃないかな、ということに途中から冷静になって気付く。
一応、いや、このデータは僕は意味があると思います、とだけ貫いて終了。
やれることはやった。
もう何もできないなあ、どうしようもないなあ、という気分で、すごくねむいような、頭の電源がきれるような気分だった。
准教授の先生が言ってくれた「俺らの役目だから」って言葉を思い出す。
今頃先生、血を吹いてるかもしれん……
時間がたつほど、ダメかもしれんな、という気分になってドキドキ、というか、ズキズキしてきた。
これで学位取得は確定。
本当だったら、ほっとしたり、解放された感じになるんだろうけど、消耗しきっていたので、まだどんよりしている。
「なんとか大丈夫だった」
「すいません」
なんだかなあ。
しかも、行き先は新しく立ち上がるラボのポスドクなので、テーマも考え放題、なんだと思う。
これで、行き詰った過去と向き合わないで、これからの未来だけを見て生きていけるんじゃないか。
彼女とは遠距離になるけど、新しい土地での暮らしは少し楽しみでもある。
ああ、学位をとらなかったら、来年度も鬱々として変わらない生活を送ったんだろう。
研究は少しずつ完成に近づいたかもしれないけど、完璧な仕事をすることに、何の意味があるだろう。
就職先から声をかけてもらって以来、学位を得る前提の未来を見ていたんだなあ、と気付く。
いい研究をして出たかった気持ちも嘘じゃないけど、やっぱり僕は、そんな理想より、泥臭くていいから学位が欲しかったんだと思う。
研究に生きている人間は、人生の選択肢で理想を選びやすい傾向があると思うし、それは自分を過大評価することでもあると思う。
だから、半ば強引にでも出してくれてよかった、と今は思う。
研究を前提とせず、人間として生きることを一番の前提として考えなきゃいけない、それが研究のためでもある。
そして、学位はできるだけはやくとったほうがいい。
ボスが今晩は飲もうと張り切っている。
ムカついたり、頭おかしいんじゃないかと思ったこともあるけど、振り返れば6年間で、ボスには感謝してもしきれないほどの恩をうけたなあ、と改めて思う。
先生ありがとう。