遅ればせながら映画館で「ソーシャル・ネットワーク」を見てきて、Facebookが日本で何故流行らないのかがはっきりとわかった。
Facebookにおいては、あくまで参加者である「人」が中心で、好きな映画や歌手、興味のある技術やイベントは「人の属性」にすぎない。
そのため、Facebookは共通の話題について会話や議論をおこなう機能が極めて限定されている。また同じ趣味の人間をさがす機能もほとんどない。ただ単に、特定の相手について「好きな映画が何か」などを見ることだけができる。そいつと映画の話がしたかったら、リアルにあって会話してくれ、というのがFacebookの基本スタンスだ。
それに対し古くはNIFTY、2chやMixiなど日本のネットワークコミュニティは、すべて「話題」が中心になっている。大昔のマイナーな映画であっても、それについて会話をしている集団を簡単に見つけることができ、すぐに参加することができる。それらの場においては参加者がどこの誰かはあまり重要ではない。そのネタについてどのような見識を持っているかとか、過去にどのような発言をおこなってきたかとかがせいぜいだ。また、ネット外での交流はあくまでオマケであって、決して主な目的ではない。
極論すれば、Facebookはネットを使って相手と知り合いベッドに連れ込むためのツールだ。相手とのデートで会話をはずませるためには何を予習していけばいいのかを教えてくれる便利なサイトだ。
そんなものは日本のネットワーカーは求めていない。日本人が求めているのは、純粋なネットワーク上のコミュニケーションだ。どんなにマイナーなものであっても語り合うことができる場であり、また多くの人間が参加する巨大な祭りに参加できる場だ。リアルの人間関係だけでは充足できない、同じ話題で盛り上がれる共同体への所属だ。
的外れすぎるわー。 mixi が一度はやって、SNS に一通り飽きた土壌に新たな SNS を浸透させるのが困難ってだけじゃないの。 あと、日本人に実名のツールはあわないようですね。