性という言葉に囚われずホモ・ヘテロについて考えてみるべき、と示唆する書き込みに刺激を受けて書かれた面白いエントリ
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110205/1296895274
今日の社会におけるヘテロは実は劣化ホモ。真にヘテロ(「異性」愛)と呼べるのは女×女のみ、という説。面白い。
が、それを踏まえて感想を少し。
そこで性別に話を持ち込むところに、すとんとは落ちないものを感じる。つまり、
他者を他者として(すなわち己とは「異」なる性として)エロス的に欲望すること=ヘテロ
他者のなかに自分と同質のものを見いだしてつながろうとするプラトニックな欲望=ホモ
…と定義するなら、結論は対象の性別は問題ではないということになるはずではないか。
同性(同じ性別間における)愛においてもヘテロ的関係が成り立つと言えるなら、異性間においても可能でなければ話の筋が通らない。現在多くの場合どうか、という話と、本質としてどうかという話は異なるのだから。
たとえば、昔、小林秀雄が友人の同棲相手とどろどろしまくる関係を経たあと「女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた」と述べたのは、異性間でも相手の他者性と向き合うことが可能であるということを示す一例ではないか。
ただ、このように考えを進めるとき、(言葉の意味は変化しているにせよ)その先において我々はまた「ヘテロ>ホモ」という構図にすっぽりとはまってしまう恐れはないか。そこから更に先まで考察が必要であると思う。