それは、知ってるけど。
ずっと、自分が、親に意見をねじ曲げられてきたってのもあるけど
他人の意思を強引に変えるのは嫌い。 相手が押して欲しいのサインを出していてもなんか嫌。
自分がされたくないことを他人にできない。
そして、負け組になるだけなのは知っている。悲しい。
んで結局全然抜け出せずに未だに”親が””親が”って言い続けてる訳だ。
ちょっと違うんだよな。
努力するのが「当たり前」だったりするわけじゃないんだよ。
五体満足でも、親に恵まれても、駄目なやつは駄目だし、愚痴るやつは愚痴る。
そもそも、自分の生活を「努力」などで向上させるのは、相対的に上等な人間になるためではないのに、そうしないやつを下に見る意味がわからない。
お前は、他人を見下すために努力したのかと。
自分に直接的な利害関係があるならまだしも言う権利はあるだろうが、それだって一般化して話すことでもない。
総じて、甘えてるだの何だのの戯言は、「自分を相対的に上等な人間にする」ためにはくのであって、それ以上でもそれ以下でもないな。
んで結局全然抜け出せずに未だに”親が””親が”って言い続けてる訳だ。
救いようがないな。お前いくつなの?20超えてんだろ?
まず、お母さんが話しをしてくれるまでは実家にとどまって家事をやったり弟の世話をしたりして過ごすのがいいんじゃないかな?それが数ヶ月かかるようだったら、大学の先生に相談して休学手続きとって、その上で実家にいたほうがいいと思う。
自分もそうだったんだけど、自殺未遂するほど追い詰められてる時ってほんと気持の整理に数カ月単位で時間がかかるから、2、3日しゃべってくれないのは不安だと思うけど、でももうちょっと長いスパンでお母さんのことを見てあげてほしいな、と思う。
結局お前は親のせいでうまくいかないっていう甘えの状態から抜け出したくないだけだろ。
周りの人間はお前がそういうガキだって見抜いてるよ。
全くもってその通り。周りは俺がガキだって見抜いてた。でも、その上で俺をちゃんと叱ってくれた。だから俺も気づいた。親を恨んでも何もいいことないって。そして、自分の責任でこれからの道を選ぶことができるって。
誰しもにそういう寛容を求めるわけじゃない。つまり、叱ってくれる人々に出会えた俺は運が良かっただけなんだ。それはわかってる。
だけど俺はお前が嫌いだよ。
死ぬ。
つづき。
昨日、二人が同棲している家に遊びにいってきた!またすごく楽しそうな暮らしだったんだよなー。
ま、ソレを見ちゃったので、しばらくいいお友達になれるように行動しようという思いにたどり着いた。その人の同棲相手も悪い人じゃないんだ。
それでももしや、縁があればこっちに転がる可能性もあるってことでしょうに。と、少し冷静になったということだけど、まぁ寂しくないっていったら嘘になるよね。結婚してないし希望あるんじゃね?みたいな気持ちも全然あるし。なんとかならんかと模索する自分は否定できないけど、
でも現実を目の当たりにするのはいい。冷静になれる。
おっとなー。 ってこういうことかしらね。
結局お前は親のせいでうまくいかないっていう甘えの状態から抜け出したくないだけだろ。
周りの人間はお前がそういうガキだって見抜いてるよ。
かわいそうだね、よちよち、俺君は悪くないよ。なんて誰も思ってくれない。
そんな事どうでもいいし、お前の過去なんぞしらんし、やることやれよボケ。
としか思われない。
その事実に早く気付けるといいね。
そうそう。
イラン・イラクに生まれ戦争孤児になったり、中国に生まれて公害で苦しんでも、そこからどうするかは自分の責任だからね。
たまさか日本に生まれたり、いい親元に生まれたり、容姿が素敵だったりすると生きるの楽だけれど。
自分がそうでないからといって、そんなの愚痴ることでもないし、そんなことの所為にして俯いて生きるのが馬鹿だって話だ。
24 名無しさん@十一周年 [] 2010/10/31(日) 12:14:14 ID:TOT68/0LP Be:
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殺人と殺人未遂の疑いで逮捕された松田智毅容疑者(22)は、両親と専門学校に通う妹(20)の4人家族。
近所付き合いがあった女性によると、母親が中国出身で、同容疑者は中国人の子どもらが通う学校を卒業した。その後、中国に一時、留学したこともあったという。
こんなこと、誰に相談したらいいのかわからないけれど、何か書かずにはいられなかったので増田に書く。
私の家は母子家庭で、母親と、私(大3)、次男(大1)、三男(小3)の4人家族。私は普段、学校近くの下宿で暮らしている。
私が大学にいると、小学校から帰宅した三男が泣きじゃくりながら電話をかけてきた。
置手紙には
「ダメなお母さんでごめんなさい。パパ(私から見た母方の祖父)へ、親不孝者でごめんなさい」
といったことが書かれており、手紙と一緒に、駅前の駐輪場に払うお金などが置かれていたという。
それを見て、すべて清算して自殺でもするつもりなんじゃないか、と三男は不安になって電話してきたそうだ。
電話口で、私も震えていた。後で近くのトイレの鏡で顔を見たら、白くなっていた。
三男には、お隣さんが母を見ていないかを聞き込みに行き、警察に連絡してもらうように指示した。
すぐに母の携帯に電話をかけたが、電源が切られていた。一応、メールも送った。
そこで、実家の比較的近所に住んでいる、母と仲の良いAさんに電話をかけた。
Aさんとはたびたび夕食を一緒に食べるくらいに親交があったから。
Aさんは
「君の母から、『三男が学校から帰ってくるころに家にいない。三男は鍵を持っていないかも知れないから、世話を頼みたい』と聞いている。今、君の実家に向かっているところだ」
と言っていた。(実際には、三男は家の鍵を持っていた)
すぐにAさんは私の実家に到着し、隣の家から戻ってきた三男と合流してくれた。
実家に着いたAさん曰く
「自転車と車がなくなっていないから、そう遠くには行っていないはず。心配しなくていい」
とりあえず、授業は最後まで受け、今晩は実家に戻ろうと思っていた。
しかし、授業が終わったころにAさんから
「母が見つかった」
と電話があった。
なんでも、電車で新宿まで行き、そこで動けなくなっている、と公衆電話から電話があったらしい。
三男が調べたところ、母の携帯電話は、家の充電器につながれたままだったそうだ。
Aさんが車を出して母を迎えに行ってくれた。
母が心配だったので、私はすぐに実家に戻る用意をして、電車に飛び乗った。
そうは言っても、実家まではそこまで遠くない。
実家に帰りつくと、次男が帰っていた。バイトを休んで帰ってきたという。
三男も、母が見つかったことには安堵していたが、私と次男のそばを離れようとしなかった。
私も、肩に力が入ったままになっていた。とても気が張り詰めていた。
母とAさんが戻ってきた。
が、母は一言もなにも喋ってはくれなかった。
メモ用紙に
「喋りたくない」
と書いて、以降、今日の今まですべて家事の指示などは紙に書いてしか伝えない。
Aさんに遅い夕食を出しながら、話を聞いた。
実は母が家出をした日の午前中、母に会っていたという。
母は
「夕食を作るのが遅くなってしまい、子供たち(特に三男)の健康を害してしまっているのではないか」
といったことを相談していたようだ。
確かに、母が夕食を作り始めるのは遅い時間で、夕食を食べ始めるのが22時になることもざらである。
Aさんは
「それは良くない。三男のためにも、食事を優先順位を上げ、何が何でも18時くらいには食事を始めるようにする、などしたらどうか」
という主旨のことを話したそうだ。あまり元気な様子ではなかったという。
喋りたくなるまでゆっくり待てばいいさ、と思っていたが、二日間もこれが続くと、どうにも心細くなってくる。
特に三男への影響が心配だ。私は学校があるから、明日にも下宿先に戻る。まったく喋ってくれない母親に、三男が精神的にまいってしまわないかが心配で仕方ない。
また、何が原因で母がこんなことをしたのか、わからないままでいる。
お隣さんの話だと、事件の二日前には普通に世間話をしていたそうである。
前日の朝は、何ら変わったことがなかった、と次男は言っていた。
当日の朝も、いつも通りに学校へ送り出してくれたと三男も言っている。
三男が小学校へ行ってから、Aさんが母と会うまでの間に、母に何があったのか。何を思いつめていたのか。
きっと、父が死んでからのこの10年近くのいろいろなことが積み重なってのことだろうとは思う。
けれど、何かトリガーはあったはずだ。そのトリガーが何かわかったところで何もできないかもしれない。が、それでも何も知らないでいることはできない。
父が死んでから1か月ほど経ったとき、母は近くのマンションの最上階まで行き、まだ当時1歳だった三男と飛び降りようとしていたことがある。
まだ中学生だった私は、母に取りすがって、止めて、止めて、お父さんはそんなこと望んでいない、と泣きじゃくるしかなかった。
あの頃からちっとも、私は変わっていなかった。ともすれば、弱くなっているかもしれない。
今回は、泣くことすらできなかったから。
あの時みたいな思いは、もうしたくない。どうすればいいのだろう。
実家と学校は2時間くらいしか離れていないので、今までも毎週末帰っていました。
今日から3日間、次男が家にいるので、とりあえず学校には出ようと思います。(母は子供には学業を優先するように言う人間ですので)
父が死んだ時も、母は1年間、毎晩泣かない日はなかったです。時間がかかるのは承知していますから、長い目で見ていこうと思います。
昨日の夜、不機嫌そうではありましたが、母の態度がいつも通りになってきました。相変わらず何も喋ってはくれませんが・・・
なので精神科に見せる必要はないかと思いました。「精神科に行こう」と言えば、少なからず母を傷つけることになるでしょうし・・・
三男は意外と元気そうにしています。なるべく三男に電話などで声をかけるようにします。
母は普段からお酒は飲みませんし、最近は医者から薬を処方されたわけでもないようです。
休みの日を作ってやれ
そうします。毎週日曜は兄弟全員が揃うはずなので、その日にでも。
経済的にはひどく困っていないようです。ただ、私が聞いても詳しい家計の状況を母は教えてくれないので、実は厳しいのを隠しているのかもわかりませんが・・・
平和主義者は言う。
「暴力では何も解決しない。」「右の頬を差し出せ。」
独裁者に従っていれば、やがて彼やその一族が公共心に芽生え、国民の意見を尊重する指導者となるのだろうか?
自分を犠牲にして、数世代とかかる時を耐え忍べば。
平和主義者は言う。
「暴力では何も解決しない。」「右の頬を差し出せ。」
独裁者に従っていれば、やがて彼やその一族が公共心に芽生え、社員の意見を尊重する指導者となるのだろうか?
自分を犠牲にして、自分の世代を耐え忍べば。
国民の労働力、生産力にばかり目を向け、独裁者に取って有益でないものは認めないどころか切り捨てる。独裁者の過ちは国民が拭うが、国民の失敗を独裁者は拭わない。多様は害悪だ。独裁者は自分の権力を守りたがる。
そんな彼等がいずれ、初めは気まぐれに、やがては自発的に国民の責任を担って指導者たる人物になっていくというのだろうか?外部から何のきっかけもなしに?
従うことがいずれ平和をもたらすという考えは、従うことで良い結果が得られた者にしか生まれない考えである。
従属は組織活動において大きな力を産み出すが、あくまで組織活動に掛かる力であり、人格を従属にすることは本能的に正しいことではない。もし正しいならば独裁者も何らかに従属しなければならないはずだ。
人々はなぜ革命を起こすのか。剣を取り、銃を取り、筆を取り、離脱を宣言し。
数人でも革命が起こせる時代になった。数人でも組織が組める時代になった。血も流す必要は無くなった。誰も死なないならば、革命を起こしてはいけない理由はどこにある?
組織を知ろう。組織を作れない指導者には耳を貸すな。自分が守りたい人たちのためにも、同じ過ちを繰り返すな。もし革命を起こしたら、付き従ってくれた人たちの思いを救うことを忘れるな。
んで反射的にそうなったからなんなん?
そんな事他人は知らないし気にすることもない。
それで他人に対して親のせいだから○○って弁明した所で何が変わるんだ?
それを見分けるのは無理な場合があると思う。
「人の近くに熊が現れた、生活を脅かされている、だから熊を殺そう。殺す以外の方法はあるけど、一番安全なのが殺すという方法だからだ」
これに対して「熊を殺すのはかわいそう」という苦情が何件も寄せられて、はてな民は、「熊が出没するかもしれない場所で暮らしている人の気持ちになってみろ」とブコメを大量に残す。ここまでがストーリー。
しかし、よくよく考えると、熊が出没するのは自然と人間の共生が云々という話で、森を切り開き、人が森の近くへ住むという選択をしているからである。人が熊から離れて暮らせば(森を残しておけば)人の住む場所にまで熊がくる可能性はゼロにはならないにしても、遭遇を避けるケースが増えてきて、被害の件数も減る。
「そんな事不可能だろ、現実的に考えろ」とはてな民は言うだろう。
では現実的に考えて、日本の人口は減少する傾向にある。日本だけではなく文明が発達して生活がそれほど不自由しなくなると人は減る傾向にある。人だけではなく、死亡率が高い生物は沢山産み、死亡率が低い生物ほど生まれる子供が少なくなる。
こんな感じに、動物というのは無意識下で数の調整を行っている。
「熊がかわいそう」と思うのは、それがマスコミに洗脳されたあげくのマヌケな考えであろうとそうであるまいと、「熊のほうが人よりも少ないんだから、ここは人が死ぬべきである」という数の調整の考えに則っている。言った本人はその前提で言っているわけではないけど、実に物事の真理をついた発言だと思う。
生物として数を調整する事は食物連鎖のバランスを保つ上で大切だと思う。
だから人は数を減らさなきゃいけない。戦争をして沢山の人が死ねばいい、とまでは言わないけど、生まれてくる人間の数を抑える事は大切だと思う。
その考えから今の日本を見れば、子供を邪険に扱ったり、子供を持つ家庭=DQNというブラフで悪印象を広めたり、団塊世代が数の少ない世代から富を搾取するという構造は、必然的なものではないかと思えてきた。誰かが意図しているわけでなく、自然が数の調整をする為に行っているものではないかと。
ただし、もし火星や月に人類が移住するという話になれば別だと思う。
生物は今でこそ地球上のあちらこちらに広がっているけど、ずーっと昔は浅瀬の一部分しかしなかったという話だし、どんどん活動範囲を広げていくのも生物の使命だと思う。
けど、今は人間にとっては、その時じゃない。
今は、数を減らす時である。
90年代のスピッツの曲を、最近また聴くようになったのだけど、
『ロビンソン』は160万枚ぐらい売れているらしい。160万枚。
これは凄い数字ですよ。今じゃ絶対にシングルでこの数字は行かない。
この年巷を賑わせた話題の曲が、1位から10位までを独占していたけど、
2000年代に入ってから、その風潮は変わった。
普段売れているアーティストが、いつものシングル販売ローテーションとして
結果的に年間ランキングの上位を占めるようになった。
それに寂しさを感じるのは、僕がもう若くないせいだろうか。
しかし子供を殴ったことには間違いなく親に責任がある。それが習慣づいているせいで、子どもが背後に誰かが立つたびに反射的に恐怖を感じるようになってしまったことにも。
そんなひどい例は例外だ、そう反論したいかもしれない。けれどもそもそも例外が多すぎるのがなんでだ?甘すぎないか?という話だ。私から見れば、お前に単なる甘えと不可抗力を見分ける目がないだけだ、という事なんだけどね。
人として恥ずかしくないの?
そんな事いう事っていつまでたっても私は自分の行動に責任を持てない人間です!
って宣言して回ってるだけだと思うんだけど。
見えない方がいいこともあるよね。気にしたって仕方ないことを気にしたって仕方ないよね。
知らない方ががんばれたりするよね、でもがんばりたくないから知ろうとするよね。
がんばらない理由が欲しいんだよね。言い訳がしたいんだよね。
……気にしたって仕方ないことを気にしたって仕方ないよね。自分以上にはなれない。