巷には「イライラしない方法」や「怒らない方法」、はたまた「イライラしたり怒ることが如何に愚かなことか」を説く書籍がワンサカ溢れている。
けど、大抵、こういう書籍は役に立たない。
なぜか?
そういう書籍を執筆するような人間には、「イライラ」や「怒り」の真の理由が分かっていないから。
なぜ分からないか?
要するに、恵まれているから。
書籍を世に出せるような立場にいる時点で既に恵まれた人間の部類だし、まして、その書籍がそれなりに売れているのなら、なおさら。
そんな立場の人たちに、下々の人間がなぜイライラするのか、なぜ怒るのかの理由など、分かろうはずがない。
要するに、「イライラ」や「怒り」の原因というのは
「生活(人生)が充実していない(恵まれていない)から」
ということに尽きる。
生活(人生)が充実している、あるいは恵まれている人というのは、精神的にも金銭的にも時間的にも余裕がある。
余裕があるから、多少のことでは取り乱したりしない。余裕がある分、そのときの状況に対処できるから。
しかし、生活(人生)が充実していない、あるいは恵まれていない人には余裕がない。あらゆる意味で余裕がない。
余裕がないから、つねにギリギリのところで物事に対処しなければならない。
その対処が上手くいかなかった時には、文字通り、それを受け止める余裕がない。
その結果が、イライラであり怒りなのだ。
だから、如何にイライラしない方法や怒らない方法を説かれたとしても、そしてそれを読んだとしても、それだけでは何も変わらない。
生活(人生)が充実するような、恵まれるような「何か」を手に入れない限り、イライラや怒りの原因は無くなりはしない。
何事も“余裕”があってこそなんだ。
そんな恵まれた人は、今の世の中そう多くはない。
たとえば弁護士は、証拠を残さずに汚いことができる。
まあ誰を陥れようと、たいてい処分されることはないわけだ。
ザマーミロヒャッハー!
ふう。
やっぱり土日は活きのいい売国奴があちこちのスレにたくさんいて彼らを馬鹿にするのは最高に楽しいなw
平日昼間はどうも「360の話なんて誰もしていない!」とか喚く様子がおかしい人が何故か毎日ずっといるだけで
つまらない。
人が働いているなんて当たり前の事を理解できなくてやたら必死に馬鹿な矛盾探ししてるけど。
就労者に無職とか正反対の言いがかりをしたって勝ち目無いにきまってるだろw
たぶんそういう人は脳がねずみかゴキブリなみの容量しかないのだろうw
稀代の孤高の書き手である私に敵うわけもなしw
うまいそばを食いたい
なのに今のそばはほとんど小麦粉でそば粉なんてほとんど入ってやしない
うにゃうにゃのそばなんて食いたくない
それなりのそばは1000円以上する
ふざけんな
でもそれでもうまいのを食いたくって
一年に一回の決意でそば屋で食ったらやっぱりうにゃうにゃのそばで
ふざけんなの2乗になる
自分にとったら3日分の食費なのに
なんか しあわせのちから だな
そばを食いたいだけなのに
かなしくなってきた
っていうか、それ以前に左手だけで持って疲れないかどうかだな
見やすいとか目が疲れないとかそんなもんどうでもいい
あと電池もちがいいかどうかな
なるほど。
「勝ち組扱いされたい」かどうかは価値観の問題だ。増田のその生活を理解できない人間がいるように、増田には理解できない人間だっている。
「かわいそうがる」人の大部分は『「都会で億ションに住むのが幸せだ」的な思考』なんて持ってないだろう。それはおそらく単なる被害妄想。
社会のメインストリームから外れれば奇異の目を向けられるのは仕方が無い。いくら多様性がどうとか言っても、これは海外だろうとある程度事情は同じだろう。
他人と関わる以上、ある一面的な評価基準に従って評価される場面は避けられない。増田が嫌う「勝ち組」の人間や、そうでな人達にとってもそうだ。
キンドルが左手だけで本体を保持したままページめくりなどの操作ができるかどうかにかかってる。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2010/10/post-1679.php
あー、負け組扱いというか、かわいそがられるのがめんどくさいんだよね。
でも勝ち組扱いされたいって言うのはマジでわからん。ぶっちゃけ面倒だからそっとしておいてほしいから。
ド田舎のボロ小屋で一人暮らししながらモノを作って生計を立てている人間なんだが、
あんな辺鄙で不便なところって言われるけど、自分は静かな環境がいいのに「都会で億ションに住むのが幸せだ」的な
思考を押しつけられるのがめんどくせーのね。
wikiった
泥棒から医者までって奴?
行動パターンの変容を技術として確立して、それを一般化すればいいじゃんって話
その際に、今ある心理学が記述と応用の手助けになるから、応用の応用っぽい感じだが
臨床と教育がもっと強力に成果出すようになれば、政府が技法を一般化する後押しとかし始めても良い気がするな
1人の天才的な臨床心理士や教育者より、多数の凡人が心理技能を持った方が相乗的に効果も高くなりそうだ
何より、まだまだ心理学が踏み込んでない領域も沢山ある
「本人が楽しいと思っているかどうかが重要」だと思っているにも関わらず、社会的な「勝ち組負け組」の概念に違和感を感じるということは、「楽しいと思ってやっているのに負け組扱いされる(勝ち組扱いされない)のが嫌だ」という感情が少なからずあると思うがどうか。
今から・・・100年後位の話になるかもしれん
上手くいけば、心理学は教育機関で教育する基本的な科目の一つになるかもしれない
1879年にドイツのヴィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学に心理学の実験室を作ったのがその始めだというのが定説だ
それからというもの、心理学者は日々人間の振る舞いを定義し、記述(=解釈)してきた
一部は応用され、教育や臨床の場に応用がされてきた
しかし、まだ伸びきっていないように感じる
例えば、物理学や化学が自然界の振る舞いを記述し、それを応用して多大な成果を挙げたように
学問とは本来、記述したものを応用していく方向へ進んでいくのが流れだ
教育や臨床の場へと応用はしつつあるが、十分なのか?
会議の進行をよりスムーズにする様な技法が欲しいと願ったとしよう
従来なら経験則に頼らざるを得なかったかもしれない
しかし今なら、今まで積み重ねてきた成果を応用できるかもしれない
より確実に、有用な技法が編み出せるはずだ
もちろん、日常生活にも応用ができるはずだ
自己のやる気を高めたり、他人へ効果的なアドバイスを行ったり、効率よく情報交換を行ったり、友好的な関係を結ぶ事
心理学が進歩し、あらゆる振る舞いが記述され、具体的な技術が確立されるだろう
そして、教育機関ではそういった技法を子供に教えるようになるかも知れない
これまで体験する事でしか学習できなかった心理的な技術は、教育によって代替可能になる
そうなった時、世界はどうなるんだろうか
前も京都のほうでそんな事件なかったっけ?
「せんせえ(そこの学童ではみんな先生と呼ばれる)、ちょっとメガネとってみてよ。」
と言われた。メガネをはずしたら、
「ふふ、ここに跡がついてるよ」
と言いながら、メガネの跡を指でなぞり笑った。
俺がろりぺどであったらフルボッキの状況であったろう。