ネット上の知り合いが、おそらく死んだ。
その人と知り合ったのは今年4月頃。はてなを通じて知り合った。
その時には既に、末期がんで助かる見込みがないと診断されて1年半以上経過、
いつ死ぬか分からず、延命治療は望まず、痛み止めも拒み続けた人だった。
私とは考え方がおよそ異なる人で、実際に顔を合わせれば絶対に嫌いになっただろうと思う。
菜食主義者だったその人を、第一印象で拒まずに可能な限り理解したかった。
自分と相入れぬ思考を持つその人を受け入れて、自己満足したかったのだ。
エゴの塊。これから生きて行く上でそうそう重要なヒトではないのだ。そんなものだろう。
Twitter等でゆるく交流を続けてきた。
一ヶ月前、その人は何も呟かなくなった。
その人のツイートが途絶えて半月経った頃、ああ、死んだのだな、と感慨もなしに思った。
針の穴ほどの喪失感。それが薄く浅く確実に広がっていった。
数年前、友人を亡くした時は、お見舞いに行ってあげれば良かったと後悔した。
それがただの自己満足で、臥せる人にとっては大した意味を成さないと、そう気づいたのは最近だ。
私にとってどうでもいい人。その人も、死の直前に私のことなんて塩ひとつまみ分も考えちゃいなかっただろうけど、
淡い、だが確かに喪失感としか言いようがない感情が、波紋のように広がり反響している。
どんな人でも死んではいけない、死ぬのは寂しい。いなくなっていい人なんていない。
そうだね。空腹だったのでついがっついてしまったんだ。
お茶によって腹の中で膨れたんじゃないかと思った。やっと消化したけど、もう二度と食べない・・・
よくわからないけど、ジブリは違うのか…。
金の生産性っていう話を本気で突き詰めるなら、
今の日本の国家予算の半分を占める国債償還を担ってくれる次世代を生産している母親・妊婦は
本来もっともっと序列の上位に来てもいいと思ったりして。
出来て欲しいもの。
「子連れお断り新幹線」とか、「子連れは迷惑料金10倍新幹線」。
勿論、飛行機もだけど。
自分も子供だった時代はあるけど、騒いだりしたら物凄く折檻されたし、
親は迷惑をかけたであろう方々に謝罪しまくっていた気がする。
俺が考えてハイになったけど、そんなに甘くないと思って現実に戻った未来予想図。
美大受験予備校に行って、絵が描けるようになる(そうすれば絵が描けるようになると村上隆が言っていた)
そうしたら、基礎的な絵を描く力はついていると思うので、漫画の描き方を専門学校で学ぶ。
それで漫画雑誌に持ち込んで、多分ダメだろうから同人を趣味にして適当に生きていく。
いまどき絵を描くのに金はかからない・・・? だろうし
ここまで来たのかwwすごいなww
とりあえず、
色んな人と、繋がれたでしょうか?
このゲームが、
さて、ご褒美といっちゃあなんですが、
本当に何もなかったぜ。
ただ訳もなくぶらついてたぜ。
大きく動いたのは小6の時。
…こことえしわさんの話は、
俺が消える時にとっておきます。
俺は、ADGと出会いました。
…衝撃でした。
世の中には、こんなものがあるのかと。
UMGも、ライアーゲームすらも知らないのに、
そして、その数カ月後。
夢幻finale。
それでは、
世の中は金ですね。
まあ、世の中はぼちぼちです。
ゆっくり食べた方が良いんじゃないかな。
大根おろしにひき割り納豆を混ぜたものをほかほかご飯にかけてそのうえに生卵をのせて
昆布だしをチョロリとかけたものをわしわしと混ぜて食べてみたら意外と美味だったので
ガツガツと勢いよくかきこんだ後、お茶をグビッと飲んだら、直後から急激な膨満感に見舞われ、苦しいでござる。
とにかくゲップをするようにしているんだが、なぜ急にこんなになったのかがわからない。
生卵のせ大根おろし納豆丼は今日初めて作って食べた。ふつうの卵かけご飯や納豆丼を
食べた直後にこんな風になったことがないので理由が知りたい。
なんか組み合わせがまずかったの?
欺瞞の瘡に 叢成す雲を射抜き 落とす月光
罪を畳めた 血の交う骸の 骨に刺さる
過ぐ世は 贖いの 底無し沼
嘖む 泥に塗れて 溺れる
月よ 総てを 見透す光で
此の胸を貫いて
離る記憶に 肱伸ばしても
歪な 輪廻に 呻吟う
流転の枷に 這いずる永き夜を 燻り猶予る
己が縛にて 流竄の因果を赦さないで
宿世に せめてもの 罪滅し
穢れた 此の身と共に 朽ちなん
月よ 総てを 見透す光で
此の胸を貫いて
離る記憶に 肱伸ばしても
歪な 輪廻に 呻吟う
月よ 総てを 見透す光で
此の胸を貫いて
離る記憶に 肱伸ばしても
私は 逃げられない
尽き得ぬ咎に 釁りの刃で
もう一度畢らせて
忘ることさえ 敵わぬ躰を
不尽の 業火で 逝かせて