匿名ダイアリーには時々書いていた。ほかにもノートに書き連ねたり、これまでの不幸だと思っている出来事を罵詈雑言まじりに書きなぐ
り、ストレス解消の一端としていたが、むしゃくしゃは収まらず、人を呪わば穴二つと言い聞かせても、自尊心まで差し出すことは出来ず
情けなさに悔しさがミックスされた本当にどん底の日々を内面に抱えながら、何でもないようなふりをしながら生活をして1年半が過ぎた。
ストレスの源となるものを断ち切って、自分の世界から排除することには成功したが、それだけではどうにも気が収まらなかった。
そんな狭量な自分が嫌で嫌でたまらなく、のたうちまわる日々。具体的行動に移っても、無駄なことはわかりきっていたため、
ひたすらストレスの源と自分を恨み後悔に暮れる馬鹿馬鹿しい時間の多くに疲弊しきってもいた。
いつになったらトラウマになってしまったようなこの痛みは去ってくれるのだろう。
そのことばかり考えていた。もしかして自分は病名がついてしまう状態なんじゃないかと不安にもなった。
日常生活には支障をきたしていないため、留まっていたが、やり返したいというどす黒い感情の甘美な妄想にも
囚われてもいた。
16ヶ月が過ぎた、ある夏の夕暮れに、お参りした折に手を合わせながら、ふと思った。
少なくとも自分は、他者にたいして信じられないような暴言を吐いた人間ではないのだ。自分はそんな人間ではないのだ。
傲慢な思考ではあるが、これにより随分と救われた。少しずつ自分は克服できているように思えた。
少なくとも、回復し自分の道を照らそうという前向きな気持ちが芽生えていることを知った。
行きつ戻りつしながらも、自分は確実に良くなっているのではないかという前向きな気持ちを持てた。
それでも、どうにも悔しさが募り、つい先日も時系列に沿って、かくも不幸な自分という独りよがりな言葉を羅列した。
誰も読んでいないだろうという気安さがあり、ひどい言葉を綴った。 ゴミ箱だと思っていたのだ。
ところが、思ってもいない言葉が置かれていた。それは自分にとっては決して心地よい言葉ではなかった。
冷や水を浴びせられたかのような気分だった。
ゴミ箱だと思って利用してきたダイアリーがパンドラの箱になった瞬間だった。
誰かが気にとめてくれたのは、おそらく偶然に過ぎず、数時間後には忘れてしまうようなことだっただろう。
でも、今後、自分は新たな気持ちで進んで行けるのではないかと思う。
暴言やこころない一言に苦しむ経験を癒すには時間が何よりの薬だが、時には第三者の厳しい言葉も有効なのだ。
ありがとう元増田。
誰かとつながっていたい、つながりたいという原始的な気持ちは、時々奇跡のようなものを起こしてくれる。