2010-08-28

小沢一郎は何も変わっていない

世間の小沢一郎に対する評価

世間の小沢一郎に対する評価を見ると大体こんなものばかりだ


一つ目は個人的にはあまり気にしていないので、ここでは触れない。

金に汚いのも事実だろうし反論も難しい。

二つ目は、ここ1~2年の小沢しか知らない人に多い評価。

政治愛国とか売国善悪二元論で語れればもっと簡単な世の中だろう。

以下では世間で最も多いであろう三つ目について記述する。

権力掌握は「目的」でなく「手段」

小沢一郎の評価で多いのは「自分のことしか考えていない政治屋」というもの。

だが、政治で最も難しいのは「政策を考える」事ではなく「考えた政策を実行に移すこと」である。

そして小沢一郎がかねてから言っているのは、「官僚主導から政治主導へ」ということ。

現在システムでは実のところ誰が権力を持ってもさほど大きな変化をもたらさない。

時の権力者が独りよがりで大きな変化を起こそうとしても、すぐに潰される。

潰される理由は簡単である。

現行のシステムを変えることに対する反発が仲間内から出てくるからである。

何故仲間内から反発があるかというと、「現行のシステムを変えることによる旨みがない」からである。

だったらどうするか?

「それが仲間内全体の旨みに繋がる」ようにすれば良い。

その為のシステム二大政党制である。

二大政党制が政治主導を実現する

これまでの小沢一郎の行動は全て「二大政党制のため」の一言で片付けられる。

二大政党制とはどういうことかというと、

選挙前に各党がマニフェストを掲げる」⇒「その党が与党となった場合マニフェストを実行に移す」

これだけである。

もしも実行に移せなかったら、実行には移したけれども成果が挙げられなかったら、国民は失望してその党は次の選挙で大敗する。

つまり「一度掲げた政策を実行に移す」事が自分達の利益に繋がる(実行できなかった場合には不利益だけ)。

だから死に物狂いで政策を実行に移す。

更に、生ぬるい政策を掲げても選挙には勝てない。

そうなると選挙前にはかなり無茶な政策を掲げ合う事になる。

勝ってしまったら実行に移すしかない。

利害関係なんてそっちのけ、必死に実行する、でないと自分自身の政治生命が終わるのだから。

現在与党にそこまでの必死さが感じられないのは、「どの程度本気でやれば国民が納得してくれるのか」がわかっていないからであろう。

これが選挙の大敗に繋がって痛い目を見たときに初めて努力が足りなかった事に気付くであろう。

そう考えると、前の総選挙で大敗したあの党の方が先に目覚めるかもしれない。

政治主導の欠点

日本の安定は官僚主導によるものだといえなくもない。

だが、政治主導になった場合選挙で選ばれた人間官僚を動かす。

これは民主主義国家では普通の事であるが、とても危険な事でもある。

まず、どういった人間選挙で選ばれるのか?

国民に有益そうな政策を掲げる人間」「外国に対し強気人間

色々と挙げられる。

となると、政治家達は国民人気取りに躍起になってしまう。

日本ではこれまで海外と比べ政治家が「国民に対する人気取り」のようなパフォーマンスをした事は殆どない。

せいぜい小泉元首相靖国参拝くらいであろうか?

そう考えれば政治主導というのは政治家が「自分愛国心をアピールいかにするか」が主体となり、永田町右派の集まりに変貌するのではないかという期待もある。

日本経済がそこそこ上手く行っているうちはそれで良いかもしれない。

上手くいかなかった場合にどうなるか?

「今の低迷が外国によるものだ」という事が次第に信じられるようになっていき、国民戦争に駆り立てられていく。

勿論これは極端に国が低迷した場合の極論である。

今の日本不景気ではあるが、外国への敵意を煽るような発言が馬鹿にされているので、まだそこまで追い詰められているわけではない。

もう一つはマスコミの影響力である。

マスコミによって選挙の結果が左右されるような状況のまま政治主導になった場合国家の政策のキャスティングボードマスコミが握る事になる。

実際にはマスコミスポンサー達が握る。

そうならないようにする為には、現在政治無関心の国民が少しでも多く政治に関心を持つことなのではないか。

別にどの党に入れても良い、ただ自分で考えて入れるだけ。

そう考えると、「今の日本政治主導はまだ早いのではないか?」と思ってしまう。

二大政党制が日本に合わない」という意見もあるが、一理ある。

これらを踏まえたうえで、小沢一郎を支持するかしないかを考えるべきではないかと思う。

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