例の馬鹿が2人の子供を殺した件、社会が悪い、社会がサポートすべき、というのは何人も沸いてくるけど、
「隣人の子育てをサポートするには」とか「サポートした体験談」とか「子育てに困っている人の見抜き方」みたいな話って一向に出てこんのな。
みんな「お上だけが助ければいい」「自分以外の誰かが助ければいい」と思ってるんだろうな。そらインターホンで子供がいつまでも叫んでたって、だれもそこに行って子供に「どうした?」と話聞いたりしてないわなあ。
おいコラなんで店頭に並んでるブラがBからなんだ。
アルファベットの最初の一文字をなんだとおもっとるけしからん。
あげくに「大きいサイズ有りマス☆」「胸の大きい人注目vv胸をちっちゃくほどよい大きさに!」…だと…?
いらぬ。そんなものは全力でいらNeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!!
つべこべいわんとA70を出せやちくしょーくやしくなんかないんだかなこのやろー
なぜきょぬー市場があってなぜひんぬー市場がないのだ。ゆるせん。
されてないされてない。
日本で男の身繕いが重要視されるようになったのなんてつい最近だし。
海外じゃ男のドレスコードは女より厳しいのに、日本ならスーツさえ着てりゃ社会人がローファーに白靴下でも許されるんだぞ。
それを笑って許してくれる女性が大多数だというのに、なんで着飾ることを求められてると思ってんだ。
変なの。
裏で荒らしとつるんで汚ねえ事ばっかやってた事バレちまったからなあ
結局最後までアングラから離れられなかったなあいつも
だいたいあいつ、ひでえ不義理かまして雑誌編集界隈追放になったのに
同じ事ネットでも繰り返してやんのな
元増田が他人を表面的にしか見ていないことだけわかった
子供も迷惑
老人も迷惑
病気も迷惑
障害も迷惑
と言えちゃうかも。
でも子供じゃなかった人はいないし、老いない人はいない。
そう思うと全ての人は迷惑と言われる可能性があるわけで…。
お互い様って気持ちで生活できたらいいなあ。
あいつは一時期、声がでかい(罵倒が激しい)のを買われての
はてサの元締めっていう、昔のmatsunagaのポジションを取っただけで、
実際、☆も激減してるし、後はclawとかきっことかと同じように
海外ニートブログって、書いてある事は的を射ているのに微妙に違和感があるのは何故だろうと考えてみた。
思うに、その不満というのは働いている人がするべき主張であって働いてない人と関連付けてなされるべきものではない。
「これこれこういう、特定の公約をするような奴に投票してはいけません」
なんつーのは、明らかに特定思想の持ち主に対する被選挙権の剥奪だろ。
これやったら、もう民主主義でも何でもないよ。
銀河英雄伝説じゃないが、例え祖国を滅ぼすような候補者を国民が選んでしまうとしても、それを選ぶ自由を奪えば、もう民主主義でもなんでもなくなる。
例え選ぶものがヒトラーだとしても、だ。
「自由からの闘争」……を論拠に挙げるのはちと古いかも知れないが、まぁとにかく、ヤバイ公約する奴を選んでしまう国民感情の流れが生まれることを抑止するべきなわけで。
これは子育ても同じかと。
結局、これこれこういう奴はヤバイ、という事前の判断なんて出来ないんじゃないかなぁと。
どうあがいても、選定者の趣味に基づいた独断になるというか。
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル
ニコニコ動画の一週間酢生活をみてミツカンのやさしいお酢が気になったので三条西京極のグルメで買ってきた。
料理するものもないからツンとする覚悟でストレートで飲んでみた。
…美味い。
はちみつ黒酢ダイエットみたいな味(それより少しだけきつい)
疲労回復も望めるみたいだし常備してジュース作りの一員にしようかなあ。
「ヒトラー的政策を公約する候補者であっても、投票して良い」のか。それが民主主義の基本とは思わなかった。
個人的には「どう考えても実行能力がない奴も子供育てていい」とは思えない。これは断種どうこうの話じゃない。責任感皆無、注意力極端に散漫、サボり癖あり、無断欠勤多数、職業倫理観絶無、という人間に原発勤務を選ぶ「職業選択の自由」を行使させたってろくなことはない、という程度の話だ。自由には義務もついてまわる。
楽しようとなんてしてないよ。
なんでお前の主張をわざわざオレが調べてやらねばならぬのかってこと。
お前が一覧して書き出せよ。
そうでなければお前の主張の柱がまったく消えうせるだろ、主張になってない。
そしてドラえもんが現在進行形なのは毎年映画やってたり~と説明したはず。
アトムがちょっと昔なのは同意するがな。
風俗なんて合法かどうかですら怪しいグレーゾーンな仕事しか無い、と言うのは「働き口がある」とは言わないし
そんな仕事をしなければ金が無いのは「金がある」とは言わない。
じゃあ合法の水商売でもなんでもいい。離婚後に事実そうしていたように、「飲食店」ではたらいてもいいしな。だいたい収入が低い分養育費の助けもあったわけだし、条件はさほど悪くない。
しかしこの理屈でいうならいくつものサポートがなければできない、というのを「養育能力がある」とはいわないから、なんで2人も引き取っちゃったの、それはいくらなんでも現実的に無理でしょう、ということになるんじゃないかね。
はあ。話がまるっっっっっきり判っていないな。
その周囲にいる誰かが「あんたの子どもかわいいじゃん」「子ども授かってよかったよね」って笑ってくれるならば、精神的に相当助けられるもんだと思う。それがあってこそ母親は強くなれるんだよ。
という話をしたのがいて、そういう人がいたら良かったのだ、というから「ねーよ」といったまでだが。これ、精神的な話だ。遠く離れてたって何の問題もない。だいたい「関係終わるのが普通」もなにも「頻繁に連絡を取っていた」だろ。文盲なのか?
あなたはそう勝手に解釈したわけですね。おれはそう思わないが。ウザがられてしかいない、という情報は特にないので。
ま、率直に思うが、もし何人もいる仲間と頻繁に連絡を取りながら結果ウザがられるような関係しか築けない人間なら、周囲の人間が優しくサポートするのは極めて難しいだろうな。親になって子育てするのもキツかろう。これは社会システムがサポートしたってなかなかどうにもなるまい。
アイツら『先輩も一緒にやってみませんか?』みたいな一言が
あってもいいと思うんだけど目上に対する敬いの気持ち?
みたいな物を持ち合わせていないのかね?
話の流れを読んでない横から、ちょこっと一ヶ所だけ
>>子育て中の人も、持病持ちも、子なしの健常者も助け合っていくのが理想的な会社だと思うが
夢想的な、という意味? 労働力を重要視しない職場や会社なんて実に夢想的だ。
まあ似たようなことは思うよ。才能がないけど活躍できればいいのに、とか、貧しいけどなにもかも自由に買えればいいのに、とかね。
ちょっと待て。協力し合って仕事するのは、生産性を上げるために重要な事じゃないか?
子育て中の人も、持病持ちも、子なしの健常者も、労働力としていないよりは、いるほうが生産性が上がるわけで。
彼らを社会のお荷物として、労働させなくてもいいくらい豊かな社会は、それこそ夢想の社会なわけで。
まぁ、適当に作っても金になりまくる時代、すなわち自国の貨幣価値が低い発展途上国だった時代は、それで通ったかも知れないけど、今はもうそんな贅沢は言っていられないのが先進国なわけで。
神戸、京都、大阪在住の人間が梅田に集まって同窓会をやる予定なんだが、明確な集合場所が思いつかない。
定番はBIGMANだっけ、あの紀伊国屋前の大きなモニター、あれでもいいんだけどなんであれ東西のサイドに2つもあるんだ。
みんながみんな阪急で来るならプラットホームから出るなって言えばうまいこと集まれるんだけど。
阪神、阪急、JRの真ん中付近にモニュメント的なのあるといいのにね。
「自分で考えろやタコ!!」と思った方。その通りだと思います。単なる知識&イマジネーション不足です。
クロワッサン信者のその後って記事が1990年の後半頃に目についたけどムカついたな。
それ見たことかという論調って確かに溜飲が下がるんだけど、
切なくね?