2010-08-08

友達の30歳の誕生日を祝った。

友達は僕は2歳ほど年上。

自分もあと2年ほどで30歳、ということに改めて気づいてちょっと考えてしまった。

自分のこれまでの人生の軽さに、

30歳以降の人生ビジョンのなさに。

ドラッカーの本の中に、こういう一節がある。

宗教牧師さんが

「何をもって覚えられたいかね」

と、聞いてきたのに対し、答えられないでいると

「答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えれらなければ、人生無駄に過ごしたことになるよ」

と言う。

30歳の僕はこの問いに答えられるだろうか。

少なくとも今は無理だ。何者になりたいか。全くわからない。

30歳になっても今のままだと答えられない気がするし、それを覆せる自信もない。

じゃあどうすればいいかなんて、これまで何度も考えてきたし、挑戦もしてきた。

そして全敗している。

いや、全敗ではないのかもしれない。

でも僕は少なくとも自分の核が持てていない気持ちを感じている。自分に足りないものがあると感じている。

再度考える。じゃあどうするのか。

それでも何度も挑むのか。諦めるのか。

それ以前に、自分の向かっている方向でいいのか。

何かを根本から変えられたら、と思う。でも「何か」がわからない。

ただただ、柔らかい絶望感だけが、しんしん自分に降り積もっていく感じ。

30歳。

何か行動するのに、遅すぎる年齢があるなんて全く信じていないけど、それでも残されてる時間が少ない、という事実は厳然としてある。無駄を弄んで「それもいい経験」なんて言っていられる余裕はない。

考えれば考えるほど思考は暗くなる。

  • 大学を出た時から成長してない自分に絶望して酒浸りで30歳の誕生日を迎えた増田が通りますよ

  • スティーブンRコヴィーの「7つの習慣」から。 貴方は人生をどう生きたいかは、 「貴方本人の葬式にみんなにどう思われていたいのか、親族や参列者になんて言われたいか、どのよう...

  • 俺は「何を持って覚えられたいか」は完全に明確だが、現実的にそれは実現不可能に近いんだよなあ。 それがわかったからといって幸せになれるわけじゃないぜ。

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