二次元であったとしても,夢中になれる人はいいなあと思って
三次元のままならなさが気持ち悪いなら,
二次元の誰かが決めた”お約束”だって充分気持ち悪いじゃないかと
リアリティを理解し,解釈し,恐れるのであれば
ノン・リアリティもリアリティの産物であることを,否応なく,受け入れざるを得ないはずで
誰かによって捨象されただけの,ノン・リアリティも,
ああだから二次創作を作ったり楽しんだりして
自分の元に,取り戻そうとしているのか
他人の作為に振り回されるだけではないと,そういうこと?
あるいは,舞台裏を含めて楽しめるのであれば,
それは三次元のリアリティに気持ち悪さを感じていないわけで,
○○が可愛すぎて生きるのがつらい?
大丈夫だよ それは充分,生きてるっていうんだ
何にせよ,僕とは別人種だ
理解は幸せ
でも理解し分解しその後に残るのは,気持ち悪さなんだよね
醜いリアリティ
喫茶店でたまたま横にいたおばさん達の会話って気持ち悪いんだよね
でも気持ち悪いって思っている自分の普段の行為も大差なく気持ち悪いんだと思うんだよね
なんて言えばいいのかよくわからないんだけどさ
個性?意図?主体性(エージェンシー)って用語は近いかもしれないんだけど
人が何か考えて行動しているのって気持ち悪い
倫理的によくできた人なら,
それを否定することは許されないことだっていうかもしれないけど
やっぱり気持ち悪いと思うんだ