2010-05-27

命と自分勝手

2009年12月

不景気でおサイフと口座が真冬日だったわたしは、正月実家に帰る気が全くなかった。

じいちゃんとばあちゃんにもしばらく顔を見せていなかったので、とりあえず電話をした。

「今年の冬は帰らないからね」

電話口のばあちゃんはこう言った。

「そう。体に気を付けるんだよ」

それから数日。わたしは風邪を引いて寝込んでいた。

体調を崩すと心細くなるもので、実家のかあちゃんの声が聞きたくなって電話をかけた。

子どもが生まれたばかりのイトコ、妊娠中のイトコの奥さんの話……

ちょっとアラサー独身には耳が痛い話が続く。

そんな話をしていたら、かあちゃんがふと思い出したかのようにこう言った。

「じいちゃんね、手術するんだよ」

かるーく、話のついでに言うもんだから、こっちも何のー?とかるーく聞いた。

そしたらね、癌だと。そんなばかな。

じいちゃん元気だし、大丈夫だよーとか、かるーい調子でかあちゃんは言う。

じいちゃんはわりと病がちだけど病には負けないクチで、何度も何度も手術の経験があり、そのたび生還してきた。

確かに、帰らないよって電話したとき、ばあちゃんも何にも言わなかった。

ただ、そのとき嫌な予感がした。

全然じいちゃんに会っていなかったわたしは、じいちゃんの様子はかあちゃんづてにしかわからない。

でも、予感がした。これが虫の知らせ?とちょっと思った。

じいちゃん、その手術に負けるかもしれない。

今帰らないと一生後悔する。

じいちゃんの手術の日は、間の悪いことにシステムリリース日で、わたしは欠勤することはできなかった。

クリスマスもあったその週にたくさん予定が入っていたわたしは、術後の週末に帰省することを決めた。

嫌な予感がしてたのに、結局わたしは自分のことばかりで、じいちゃんに会いに行かなかった。

手術の日、つつがなくリリースは終わった。でも、その夜、じいちゃんは息を引き取った。

10時間もの長い長い手術を終えて、一旦意識を取り戻して。

家族が安心して帰ったすぐあとのことだった。

わたしは仕事が山積みだったのと、通夜明後日からと言われたので、翌日、仕事に行った。

日大泣きして寝不足だったこともあって、全然仕事にならなかったけど…。

通夜の前、じいちゃんに会うことができた。

とても穏やかで、きれいな顔をしていた。

じいちゃんの顔を見た瞬間、せきを切って涙があふれてきた。

じいちゃんはもう、私の名前を呼んでもくれないし、笑いかけてもくれない。

じいちゃん起きて、とだけ声をかけたけど、もう言葉が出てこなかった。

後悔とかしても仕方なかった。ただの自分への言い訳でしかないこともわかってた。

じいちゃんは、死期を悟っていたらしく、家族に気付かれないように身辺の整理を済ませていたそうだ。

全然知らなかった皆は、じいちゃんが死ぬなんて思っていなかった。

家族の前では弱音を吐かず、もう一度元気になることだけを楽しみにしていたという。

でも、そうじゃなかった。じいちゃんはひとりで死を覚悟していたのだろう。

家族以外の知り合いには、自分はもうダメだと言っていたらしい。

じいちゃんは、入院中に来訪してくれた人の名前ノートに付けていた。

それを何度も何度も眺めていたらしい。

自分が繋がっていた人たちの名前を眺めて、いろんなコトを思い出していたのかもしれない。

わたしの名前はそこにはない。

じいちゃんの最期の持ち物の中に、わたしの名前はない。


今まで、東京に出てきたことを後悔したことなんてなかった。

けど、このときは自己嫌悪で吐きそうになるほど後悔した。

今回一番後悔したことは、大人になってからじいちゃんと共有した時間が少なすぎたことだった。

だから、ばあちゃんとかあちゃんで同じ思いをしないように、もうちょっと頻繁に実家に帰ったり、電話したりしようと思うよ。

こんなダラダラ長い文を読んでくれてありがとう。

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