2010-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20100310113326

読んでみて、一瞬、ちょっと自分に近いタイプの方なのかな、と思いましたけど、

どうも私よりも、かなり生理的にきてるらしいので、ちょっと違うかもしれませんね。

というか、私はそもそも男ですけれど。

どちらかというと、私は、そのほかの方が分析してらっしゃるような

自己愛強すぎ」+「自己観察強すぎ」タイプかもしれません(たぶんだけど)。

完璧主義者、というのとはまた違うけど。

 

で、まあ、キモメンでもなんでもなかったけれど、

恋愛してしまう自分>なるものが意味不明というか、ワケワカランというか。

どうも、真剣になれなかったので、数年前まで未経験でしたよ。

告白とかされても全部、断ってました。

別に、童貞であることに対するコンプレックスとかもなかったので「モテたい」というのは特になかったですれど、

まあ、「なぜ、ヒトは恋愛とか、そんなにしたいとか思うかな?全くワケがわからないとまではいわないけれど、いいって言われてもなぁ…困る。」

とかしか思ってませんでした。(今でも、けっこうそういう感覚は強い)

 

家族やら周囲からはいい年になっても、そういう噂の一つもなかったので、

幾たびも同性愛疑惑やらいろいろとありましたけれど…

 

それでも、いちおう、数年前に、

幾重もの意味で「この人だったらいいかな」と思える人に出会えて、つきあい始めたました。

…と思ったのも束の間、

相手が<恋愛>に求めるものと、こちらのテンションの低さがスレ違って結局わかれました。

つきあい始めた瞬間は、一時的に<恋愛している自分>を反省的に感じすぎることもなく大丈夫だったんですけどね…。

数ヶ月したら、もう無理で、「ユーはテンションが低すぎるヨ!」とのことで…

 

別に「恋愛している自分が、生理的に気持ち悪い」とまでは言わないけれど、

なんか、自分が、自分でないものの演技をしているような違和感がありまくりで。

恋人>であることを前提にしたコミュニケーションとかとれませんもの。

友達の一種、以上の何かはむり。

そして、「そのコミュニケーションオールOK」と口では言ってくれることがあったとしても、

実質的には「もうちょっと努力してくれないと、厳しい。寂しい」というのが先方にあったようで…。

どうも、難しい。

 

 

去年からまた別の人と付き合いはじめましたけれど、

やっぱ、まだ<恋愛>感が違いすぎるというか、

クリスマスイベントとか、バレンタインイベントとかにベタにはまってしまえる自己像は獲得できないので、またわかれるかも。

一応、いまの相手は、こっちが<恋愛>に求めるテンションがすごく低いことを理解してくれてはいます。

それは、まあ救いと言えば救い。

 

そうは言っても、「おつきあいをしている」ということの意味が、

相手にとってはすごく薄く感じられている雰囲気なので、

こちら側が、ある種の「努力」をしないと、長期的には難しめなのかな、と。

まあ、人間としては好きな人ではありますし、「努力」が不可能な範囲だとも思わないので

可能な範囲で努力はしてますけれど、努力をするためのインセンティヴは

「せっかく好いてくれている人に、ひどい傷つけ方とかをしたくないから」

という以上のものが無くてですね…。これはけっこう困りもの(主に自分が問題)…。

この状態で保ち続けられれば、このまま続くかもわかりませんが、

ちょっと今、自信がありません。

 

 

…なんか、元増田さんへの応答というか、ほとんど一方的に私の話ですけれど、

次に別れたら可能な限り独り身でいようかと思っております。

相手を傷つけるようなことさえしないで済むのであれば、独り身でいることにそれほど強い問題は感じていません。

 

まあ、自分もある種のセクシュアル・マイノリティだとは思っています。

同性愛でも幼児性愛でも非性愛でもないので、どういう名付け方がされるべきかは、ナゾですけれど。

一応、異性愛者として性行為をすること自体は嫌いではありませんし、できますから、

その意味では「ふつう異性愛者」ですけれど、「ふつう恋愛」はまず不可能ですね。

「むり」、としか言いようがないし、特に、そのことを病気だとも、問題だとも捉えていません。

平均的なセクシュアリティの方との折り合いがちょっと付きにくいだけで、

ゲイロリの人よりもクリティカルな問題には発展しないので、

自分はそういう人間であることだなぁ」という程度です。

恋愛を強制するような文脈の、無神経な会話に混ぜられると、

イラっとすることは少なからずありますが、

ちょっと我慢すればいいだけのことなので、我慢をしています。

 

関係の濃い人には、

やんわりと自分のわけのわからないセクシュアリティカミングアウトするようなことはしていますが、

そこまで周囲の拒否反応強くないですしね。

 

ただ、元増田さんと同じく思い起こしてみれば小学生ぐらいの頃まではけっこうオマセさんで、

恋愛とか興味津々だった記憶はあります。

元増田さんと決定的に違っているため、特に参考にならないのは、

もっとつまらない、本当に生理的なものです。

客観視したくてしているわけではなく、私ももっと感情に流されたりのめりこみたい。

だけどそれに体のほうで急ブレーキをかける感覚なのです。

孫悟空の頭のやつってそんな感じなのかな。乱暴な感情を抱くと締め付けてくる。

と、まあ、こういうほどのことは無いのですよね。残念ながら。

自分自分に異物感ぐらいまでは覚えるのですけれど、吐き気を催すようなことはないです。

「なんか、変だけど、そのうち慣れるかも」ぐらいの感じ。

慣れれば、慣れたで問題なくなる確率もけっこう高いですし、

付き合ってみて、多少は慣れてきたのも事実としてはあるので、

元増田さんと比べると、自分

「単に、機会にめぐまれなかったのが、長引いてこじれただけの人」かもしれず、

自分でもよくわかりませんが、なるようになればいい、ぐらいの感じです。

うーん、まあ、参考になるかどうかわかりませんけれど、

単に人を好きになれない問題は、

「好きになるとか、それはそれで素晴らしいかもしれないけど、自分にはまあ、別に、どうでも…」

以上でも以下でもない、と思っている人間がいる、ということでご参考になれば。

あと、一つだけ、どうでもいいひっかかり方をしたのが、

ちなみに萌えという概念がある。これは私と逆の欠陥を抱えた人だと思っている。

前者がおぞましいもので、後者だけを必要とする奇妙な感覚なのではないか。

という記述ですが、これはまたちょっと違うかも知れないと思いました

ラブプラスとかの盛り上がりにしてもそうですが、

ベタに好きになっている自分」と、

「××ちゃんを好きだとか言ってしまう、自分ってどうよ?おれは、つきすすむぜ!(笑)」みたいなネタ感覚とが入り交じっているように思います。

人によっては、どちらかというと、後者の「ネタ」感の強さと「萌えの表明」が入りまじっているように感じられます。

もちろん、「ベタ二次元にのめり込んでいる人」もいるのだとは思いますが、

「××子を好きだと言ってしまうオレ」自体をネタにして楽しんでる感覚と表裏一体じゃなきゃ、あれだけ沢山カミングアウトはできないだろうな、と思います。

少なくとも「××子萌え」をカミングアウトしている人の大半は、そういう人かなぁ、と。

 

特にモテない人が自虐的にカミングアウトするのは、それはそれでけっこう楽しそうなコミュニケーションだと思いますし。

長くなりましたが、こんなところで。ご参考まで。

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