雰囲気というか難易度の低さ故に完璧に物事をこなしている人が安定してない国より多くて、そういう人たちと自分を比べちゃって劣等感湧き上がってくるんじゃないかな。
日本でネットが流行り出した2000年前後って年齢関係なく全体の層で妙に持ち出す話題が馴れ馴れしい人多かったけど、今じゃそういうのはゆとりDQNスイーツ内輪に限られるよね。
コミュニケーションの手段として洗練されてきたのかな。
そうそう、例えば遅刻した時に「電車で人身事故が発生して~~」とか言い訳されても
腹が立つだけ。態度で自分は悪くないんですと丸わかり。
素直に謝罪するほうが、100倍いい。
そういう風に言う人って状況はどうでもいい場合が多い
まずは「謝罪」、そして「解決したという結果」
それが欲しいのに、それ今言わなきゃいけないことか? 言い訳すんな! 責任逃れすんな! って思うんだろう
何を大事だと思うか
それが違っている
新卒、就職とは直接には関係ないんだけれど、最近、在日中国人をルポした「見えざる隣人」という本を読んで、
この人たちの生きるバイタリティに圧倒された。
元増田の新卒で就職が難しい=人生失敗なんて、ちょっと考え方が硬直的なんじゃないかな。
中国から日本に留学したら「龍がミミズになり、虎が猫になる」なんて言葉があるらしいけど、
ほんと日本って、そんな雰囲気だよね。
「見えざる隣人」
何かまずいことが起きたとき、単にその理由や事情を情報として述べているだけなのにそれを言い訳だとしか解釈できない人がいて、困る。
普通、誤解されやすいときに誤解されるような言動は慎むべきだけど、ちょっとした説明までそのように受け取られたらたまらない。
技術を覚える気はある。
新しいことを覚えるのは好きだからさ。
でも管理職とかそういうのになる気はないんだ。
だからますます金は要らない。
一昨年曾祖母が亡くなったときに、私は高校生だったから制服を着て始終押し黙っていたのだけど、遺された人達でするお金の話とか、繋がりも分からない親戚が集まってお酒や煙草に興じるのとか、ややわざとらしい昔話とか、大人のすることは人の死の扱いとして相応しいような気がしたよ。
元増田がなにを見て「どうでもいいという感じ」と書いたのか分からないし「悲しい」という言葉は確かにあまりしっくりこないし実感も湧かず私は泣かなかったけど、どうでもよくはなかった。表に出す出さない/意識するしないの違いこそあれ、そこまで人を蔑ろにしたり、死を意識せずにいられたりするわけもなくない? それから「死んだ奴が自分に必要だから泣いている」というのをなにかレベルの低い悲しみのように扱うのも違うと思う。必要は関係の起源だもん。
私が上手くゆかなかったのは、ひとえに他人と上手く関われなかったからで、もし大学院に行ってもう一度新卒で就活したとしても、また同じ事の繰り返しになるんじゃないだろうか。
もし、内定がとれたとしても、会社に入ってから他人と上手く関わることが出来なければ、上手くやっていけないんじゃないだろうか。
そう考えたら、新卒にこだわるよりも、他人と上手くやっていく方法を探すべきなんじゃないか。
そもそも「新卒」ってなんなんだ?
そう考えた私は、とりあえず増田上部の検索欄に「新卒」と打ち込んでエンターキーを押した。順序が間違っている気はするものの。
まず目につくのは、やたら自分語り、身の上話が多いということ。
それも当然の話で、新卒イコール就職イコール人生のターニングポイントであり、人生の話が出てくるのは必然だ。この日記もほとんど自分語りである。
次に、面接マニュアルみたいな話。こーゆー話をしたがる人って、どーゆー神経してるんだろう。ぼくにはとてもできない。
それから、とにかく新卒で就職できないと大変なことになるらしい。30過ぎてフリーターとかニートとかになるらしい。でもそれって本当に新卒が悪いんだろうか?
また、新卒で入社できない人間は社会不適合者であるらしい。果たして本当だろうか?
漫画家の山田玲司は「非属の才能」という新書の中で「社会不適合者はみんな天才だ!(意訳)」という、なかなか論理的にもぶっ飛んだ自説を開陳していた。
なるほど、確かに成功者には一時的に社会からドロップアウトしたような人も多い。例えばアップルのスティーブ・ジョブズなんかは、大学を数ヶ月で退学している。
しかし。しかしである。
世の中の一般的な人、平凡な人、普通の人、人並みな人、日塔奈美は、みなちゃんと大学を卒業して、新卒で内定を貰って働いているのである。不況の今年でさえ、六、七割の学生は内定を貰っているのだ。
そもそも、有名人に社会不適合者が多いのは、その個人的才能が突出していることによって一時的に社会から疎外され、後にその個人的才能によって有名人になったのではないか。
そういった有名人と、個人的能力が不足していることによって社会不適合となった人間を、同列に語るのは間違っているのではないか。
増田を「新卒」で検索すると、今現在フリーターをやっていて、作家になりたい、という人がいる。
しかし、ただ単に社会不適合であるというだけで、作家になることは出来ない。
何らかの特殊な経験を経ただけで、特殊な表現が出来るようになるわけではない。例えそれが戦争で前線に送られた人の自伝的小説であったとしても、つまらない小説はつまらない。
自分が特別であると思いこんではいけない。
じゃあ果たして、新卒で失敗した私は特別なのであろうか。
大卒で六、七割ということは、同学年で正社員として働いている人はもっと少ないんじゃないか?
六、七割のうち、会社になじめずに退社して第二新卒になる人はどれくらいいるのだろうか?
本当に私は、特別なのだろうか?
私にはまだ、自分がどうすべきかわからない。
追記:トラバしたくなった
そうすっと今度は、そうした人に対して会社がどこまで価値を認めるか、的な話になってくる。
同じ年収で使えるなら、なるたけ若い人が良いのですよ、将来性とか含めて。
それなりに経験があり稼げるはずの人が、「年収600万はいらないなあ」と言うのは、
「そこまで稼げない」「稼ぐ気が無い」ってことで、会社としては存在価値が微妙なんですよね。
具体性の無い指摘は、さらにズレを広げて、そういうことに拍車をかけるって知ってる?
「ズレてる」と思うのなら、ここがこう、と具体的に言いなよ。
あなたはひどい的外れなことを書いてると思う
そんな価値のないしょうもない仕事のくせに、子供が障害を持ってたりグレたりニートになったり引きこもったり犯罪をすれば「親が悪い」と大合唱が起きる。
ちょっと(奈良の事件で大量離職が進んだ)産婦人科医に似てるな。勤務医のショボイ給料でアホみたいに働かされて、そのくせしょっちゅう訴訟を起こされる。だから誰もやりたがらないが、誰かがやらないと国が立ち行かない。
いい加減化けの皮がはがれて来て「よほどのどMかマニアじゃなきゃ勤まらない糞仕事」だと皆気付いちゃったもんだから、誰も貧乏くじなんか引きやしない。
いつもは穏やかな(無愛想ともいう)親父に怒られた。
だけど何にも感じない。今までやってきたことが否定されて、いかに私がダメな娘かという理由が語られたけど、すとんと胸に落ちて擦り抜けるだけ。
顔は泣いているし、鼻水だって無尽蔵に出ているけれど、前までここまで言われたら憤っていた心が、今日は何にも感じていない。
当たり前の事実を言い当てられて、ああそうですかとただ頷いているだけみたい。
表層意識では確実に悲しいし悔しいんだけど、奥にはまるで届いてない。なんだこれ。
ここまで言われるままなのも癪に障るので、常々疑問に感じていたことを表層の勢いで言ってみたけれど、腑に落ちる回答は得られなかった。
俺が言うんだから言われた通りにやれって感じだ。回答になってない。
理想通りの娘に育たなかったのを今まで黙って見てきたけれど、今日は酒も手伝って爆発して、泣かされるくらい激怒した、というわけだ。
逆に反抗して、親父の理想とは全然違う方向に行ってみたいけれど、そうは出来ないのは仮にもこの親に育てられてきたからだろうな。
というか、23にもなって馬鹿なことをしたら、これからの人生も馬鹿なことになって終わる。だからしない。
思春期のうちに馬鹿なことやって怒られていた方が余程マシな人間になったんじゃないかな。でも出来なかったな。真面目ちゃんだったから。
こんなにもダメ人間と言われるなら、いっそ死んだほうがいいかなと思ってカッターナイフを握ったけど、左腕に細い蚯蚓腫れをいくつも作るだけで終わった。
死ぬ勇気も私にはない。どこまでも無気力な人間に育ってしまってごめんなさい。
でも困ったな、今週末は結婚式なのに、この傷跡が見られたらどうしよう。
何だか、親父に言われるがままになっていたときより、こうやって書き込んでいるときの方が余程泣けてくる。
料理そんなに出来ないよ。パソコンしか出来ないよ。ぬくぬく育った馬鹿だよ。理想の型から食み出しまくったオトナになってごめんなさい。
本当は昔から私にも言いたいことが色々あったよ。書き留めたりもしていた。
あんなに本音をぶつけられたなら、私もぶつけたいことが、2,3年前ならあったはずなのに、もう空っぽ。ゴミ箱に穴が空いたらいっぱいにはならないしね。
ここ1,2年で、自分がいかに無能な人間かということが分かって、それでも何も行動を起こせない自分が苛立たしかった。
語気は強いけど主体性のない自分。産まれてきてごめんなさい。自分でケリをつけることも出来なくてごめんなさい。
困ったな、これから職務経歴書を書きたかったのに、もう何も思い浮かばないや。
明日母さんからも、昨日のお父さんの言い方は悪いけれど、だけどお父さんの言うとおりなんだからねって話があるんだろうな。
こんな風に育ってごめんなさい。
昔から今も追い続けている目標を、打ち明けられていたならば少しは変わったのかな。
でもダメだ。どうせそんなことをしていたら生きていかれない、そう言われて終わるから、もう一生言わないよ。
本当の本音を誰にも言わなくなったのはいつの頃からだろう。
これ、特にお世辞じゃなくて素直に感じた事だけど。
以前のあの人の絵って優しい人なのはわかるんだけど、どこまでも冷めた視線が苦手だった。
でも、最近は視線も情のあるものに変わったよ。
あんまり書きたくないんだけど、今のままなら良い人が見つかると思う。
どうでも良くなったわけじゃなくて、好きなんだけどね。そういう事は思った。
それともあばたにえくぼなのかー、どうなんだろう。
how poor you are!