部屋がイカ臭い
原因はなんとなくわかる
今日ダイソーで買ってきた車のダッシュボード用の滑り止めが根源
が、中身は大丈夫だと思い込んで買ってきた
部屋で商品を開け、中身を取り出す。商品はゴム臭いような感じ
なのにまだ部屋にイカ臭がある
前に焦げがイカ臭したのを思い出し、恐怖して兄貴を部屋に呼んで原因を究明
買ってきた滑り止めを渡し「これが入ってた袋がイカ臭かったんだけど・・・」
と滑り止めをその場に放り投げて部屋を去っていった。
んでどーなったの?
ちなみにセールで一度しか着ない服をすててないからイーブンじゃないよ。
他の人も言ってたが、奥さんは自分の言い分が百パーセント通るまで満足しないよ。
奥さんが好きなのは「自分を愛してくれてる夫」、または「自分そのもの」であってあなたじゃないから。
結婚前からずっとそう。
「愛してくれている彼氏がいる自分」「嫁にいった自分」「可愛い子供を産んだ自分」自分が大好きで、いっつも自分の思いどおりの自分でいないと禁断症状が出る。だから必死になってあなたをつかまえた。
もし一人で過ごしていられる女なら、別に恋愛しなくても平気だ。
諦めて「奥さんを愛してあげる夫」を続けるか、分かれるかの二択だねー。
自己レス。
父は私の価値を、家事や料理が出来ることとかで測っていたんだ。
他のことは何をしても父の評定には入らないってことだったんだ。
それが前々から何となく分かっていたから、迫力があっても芯にまで響かなかったのかなあ。
間違っていてもいいや。
「俺は今日頭にキてるから洗いざらいぶち撒けるぞ!」って言って語った言葉がコレだから、多分本当なのだろうし。
こうなったら評価されない他の部分を磨き上げて、いつか見返してやる、って思った。
それか、飲んだくれの評価なんて気にする必要もない、と言い聞かせて自らを奮い立たせることにする。
やっぱり、しばらく自分は何なんだろうって思うかもしれないけれど。
せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演で宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。
馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20100217164344
「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。
こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。
まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。
ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。
英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。
つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションにコミット(訳注:約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では
The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.
となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形の解釈について納得がいかない方はマーク・ピーターセンの「日本人の英語」辺りを読んでみると良いでしょう。
つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fedは日本の経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレのリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレの処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。
ですから、
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。
この解釈をブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行は能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者のコンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。
加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。
「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。
前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレにコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本の金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。
そして、世界中がゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。
また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。
最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。
とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。
司祭様 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉(大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」
女 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」
司祭様 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」
これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。
ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気になっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。
さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達の笑顔を取り戻して下さるに違いありません。
ワロスwww
609 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/02/17(水) 00:46:59 ID:FAyl5rxs0
フレックス休止さえなければ二人は決して出会わずに済んだのにな。
658 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/02/17(水) 06:05:47 ID:WIoOVFJsP
フレックスの10時出社を維持しておけば、こんな
事件は起こらなかったのにな。w
733 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/02/17(水) 09:57:16 ID:kA4TfWZ80
フレックス廃止するからこんなことになるんだ。
852 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/02/17(水) 14:15:00 ID:Xz/tVNXU0
フレックス(時差出勤)廃止で思わぬ大損失。ww
まっとうな人生に見えるけど。
自分の人生より幸せな人生を他の人が送ってるとでも思ってるのかな。
それがとんでもない絶望で暗闇に感じるなら、この世の中はみんな闇だよ。
だから安心していいと思う。
絶望して死ぬか、諦めて死ぬか。いま死ぬか、いつか死ぬか。
よくやった。
たとえ女がどうなろうとお前が責められる謂れはない。
お前みたいなヤツのおかげで世界は回っている。
ありがとう。
電車の下にそれだけの隙間があることが世間に知れ渡ったし、オレも対処方法がわかってよかった。
今までどうしようかと思ってたぜ。
売家と唐様で書く三代目
正直怖かった。
幸いあの女性は軽い擦り傷程度のケガで済んだので、僕は感謝状を受け取りに行かなくてはならなかった。
今でもあの瞬間が発作のように再生される。
女性を線路に寝かせたのは、彼女が泥酔して動けなかったことと、電車がすぐ間近に迫っていたからだ。
いつかのテレビの聞きかじりで車体の下部分には若干の空間があることも知っていたし。
たまたま。それだけ。
ピンチの女性を助けたいと思ったとか、もともと正義感あふれる人間ってわけじゃない。
僕はただの一般人の心臓を、さらに永久脱毛したようなそれの持ち主だ。
テレビではとっさに機転を利かせた対応…なんて言われてたみたいだけど、今になって思うのだ。
想像以上に車体の下に余白がなく、彼女が轢かれたり、何かに引っかかって電車に引きずられたりしたらと。
僕が関わってアクションを起こしたことで、例えば傍観した場合以上に、彼女の被害を大きくしてしまっていたらと。
もしそうなった場合、僕の人生はどうなっていたんだろうと。
もう一度言う。僕は強くない。だからもう二度と、人助けはしたくない。
もとい、「そういう場面」が僕のいる場所にもう二度と訪れないことを願っている。
自他共に認める「向いてない」仕事をやらされている。
他にやる人がいないから、消去法で決まったらしい。
できる人がいない、ではなく、この仕事をブン投げても死なない程度に、
今の仕事がラクそうで、ヒマそうだった(ように見えた)から、らしい。
実際、そこまでラクでもヒマでもなかったのは、引継ぎ段階になってようやく理解された。
時すでに遅し。すでに新しい組織図で業務が動いている。
今さらゴネても、回りに嫌な思いさせるだけ。何も変わらない。
こういう状況だと、今までの経験では確実に心を病んで、
最終的にどうしようもない状態になって退社、数年間引きこもることになるんだが、
さすがにもう親に寄生するような年じゃないし。どうしようか。
そう考えたら、新卒にこだわるよりも、他人と上手くやっていく方法を探すべきなんじゃないか。