違うね。オリンピックのたとえで言えば金メダルを目指すことはあり得ても、敢えて銀メダルや銅メダルを狙うというのはないだろうということだ。
(実力の関係で銀、銅あたりを現実的な目標に据えることはあるが、そういう場合でももし金が取れるなら取りにいくのは間違いない)
違うって。
通常は、優勝者であれば金メダルが授与される。
しかし、最大化ということは、世界新記録でなければダメっていってるのと同じ。
対戦競技など比較すべき記録のない競技であれば、優勝者は必然的に金メダルで過去との比較が一義的に決められないから、譬えを代表選考にしたけど。
評価軸が1つならば、その軸にそって最大化を目指すのが議論としては順当。
いや、だから何故最大化を目指さなければならないの?ってことなんだが。
順当っていうなら、ある水準を超えれば足りるって考える方が順当じゃないのか?
運転免許証は、一定の技量と交通法規の知識を有していれば与えられるだろ。
ここに最大化という概念は存在してるか?
「優越していれば足りる」と考えるのは自由だが、そう主張したいのならその「優越」の基準とともにコンセンサスを取ってからにすべきだ。
そっくりそのままお返しになるが。
何故最大化が順当でコンセンサスを得ていることになってるの?
日本語は気をつけて読んでくれ。
「足りない」ではなく『「足りている」と言えない』と書いている。
反対解釈すれば「足りない」と言ってるだろうに。
「『足りている』と言い切れない」なら、「『足りている』といえることもある」と解せるけど。
通常は、優勝者であれば金メダルが授与される。 しかし、最大化ということは、世界新記録でなければダメっていってるのと同じ。 ダメではないが世界新記録を目指さないというス...