好きとか嫌いとか、そういうのがよく分からない。
本が好きだけれど、じゃあ何故好きなのかとか、好きな作家は誰かとか、そういうふうに問われると困る。なにが好きか言うように求められるから近しいものをとりあえず挙げるだけで、読書なんて呼吸のようなものなのに。だからその質問が嫌いだけれど、正確に言えば「きちんと答えるのに時間がかかるから聞かないでほしい」ということで、本当に嫌いなわけじゃない。「適当な返答ばかりでは/おもしろい返答をしなければ嫌われるかもしれない」「こんな質問のために長い時間を待つのは嫌でしょう?」という想定があって、つまり自分自身のより相手の嫌いの上に立った「嫌い」、立場が逆なら私は喜んで待つのに、私自身の「嫌い」として言う。
それはなにかおかしいんじゃないかと思う。いや意外と皆そんなもんなんじゃないかとも思う。
することのない時間には本を読んでいることが多いです、満足しています。=私は読書が好きです。 ?
好かれることが好きで嫌われることが嫌いかなー と思い当たったのだけど、これは私の欲求? 周囲の価値観に捕らわれてるだけとか、本能とか?
いやいやこんなこと思うなんて私、言葉をきちんと使いたがってるじゃん!そうじゃないの嫌いじゃん! とも思ったのだけど、これも呼吸的なことかもしれない。