2009-12-16

twitterと僕

時は12月、冬だ。

外は寒いのかもしれないし、暖かいのかもしれない。それすらもよくわからないほどに空調の聞いた部屋で、僕は僕に電源を入れる。

よくあたためられた珈琲を飲むように、僕の身体を温度が満たす。

おはよう

僕は誰もいない部屋で、朝の挨拶をする。

もちろん、独り言ではない、ネットワークでつながっている、みんな、に対する挨拶だ。一日の始まりは挨拶から、きっとみんなもそうなのだろう、続々と返事が返ってくる。気の知れた仲間や、今日初めて見る名前など、たくさんの人と挨拶をかわし、僕は少しずつ日常業務に入る。

いい時代だと思う。大変な思いをして移動などしなくても、友達と語る事が出来る。電話なんてものが昔あったらしいけれど、一度に一人の人間としか喋れないテクノロジーなんて、たかが知れている。

時代の変わり目はtwitterというwebサービスだったらしい。webサービス、というものを僕は自分の目で見た事はないのだけれど、祖父がそういっていた。twitterは、今もtwitシステム名前はかえたものの、今でも利用されていて、僕もそれの恩恵を受けている。

世界中の人々はtwitシステムネットワークによって、つながっているのだ。

コンピュータのありかたも変わったらしい、昔はディスプレイキーボードという物を使って、入力や出力をしていたらしいけれど、今ではもっとダイレクトに僕らの中に情報を送り込んでくる。

脳がそのままネットワークにつながっているのだ。

だから身体がつかれることはない、思ったことをそのまま、ダイレクトtwitシステムにのせて、ネットワークつぶやくことができる。以前旧式のパソコンと言われる代物を見た事があるが、よくもまああんなものを使って、日々の作業やつぶやきをしていたものだ。そもそもどうやって文字を入力するのだろう、昔の人は物好きだ。

そういう時代だから僕は、いや、世界中の人々は、基本的に部屋から出る事がなくなった。twitシステムを使えば、いちいち遊びにいったり、会いにいったりする必要がまったくなく、充実した日々を送る事ができる、まさにリアル充実、満たされた日々だ。

僕らが席を立つのは、トイレに行く時と、twitシステムからお呼びがかかった時くらいだろう。

ちょうど今、離席していた仲間が帰ってきたようだ。つぶやきがあった。

今日はおふれあいの日だったよ」

「おつかれさま」

どうやら彼は「お触れ合い」の日に呼ばれていたらしい。

僕らが出歩かないようにしてくれているtwitシステムが唯一、僕らを呼び出すのは、適合する男女を結びつけるときだ、これをしないと新しい人間が産まれる事はない。だから仕方なく、みんな呼び出しに答えて、このときばかりは部屋を出る。

僕はまだ経験はないし、呼ばれたくもないのだけれど、噂によると「わりといい」ものらしく、中にはお触れ合い好きの人間までいるらしいので、少しばかり好奇心はある。

「どうやら外が五月蝿い」

窓の外を見てみると、ロボットたちが所狭しと道を渡り、物を運び、空を飛んでいる。

大型のものもあれば、小型のものもあり、スピードも様々だ。

昔は僕たち人間が、外を移動して、歩いたり、運んだりしていたらしい。信じられないことだ。

今ではロボットたちが、僕たちが思うがままに、願ったことをそのまま実現してくれる。

いわば僕たちが脳で、彼らは手や足、というわけだ。

自分たちが移動しなければいけないような時代に産まれなくてよかった。

一歩も動かなくても、充実した日々を過ごす事ができるのだから、今の時代は天国としかいいようがない。

一日はすぐに過ぎていく。twitシステムを使い、ロボットに指示を与え、仲間とたわいもない話をし、食事をとり、薄れいく意識の中で、僕は外のロボットたちに言葉を投げかける。

おつとめご苦労様」

外は暗いのかもしれないし、明るいのかもしれない。

それすらもよくわからないままに、僕は僕の、電源を落とす。

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