http://anond.hatelabo.jp/20091130015620から続き
一度口を開けば毒を吐きまくるために、美樹は今までにいろいろと嫌な思いを経験してきた。自業自得だと言えなくはないにしても、積み重なった日々は紛れもなく大きな傷跡となって記憶の奥底に刻み込まれてしまっていた。
美樹は、自らの悪癖に辟易しているきらいがあった。みんなと同じように会話することができない。したとしても、すぐに嫌な空気を作り出してしまう。誰かを傷つけてしまう。そのことに対して、美樹は激しく己を恥じていたし、憤っていた。どうしてこんなに嫌な奴なんだろうと自己嫌悪に苛まれたことも一度や二度ではなかった。
だから口を噤むようにしたのだ。誰とも話さないようにすることで、他人を傷つけることからも自分を嫌いになることからも逃げていた。そうすることが、美樹が思いついた唯一の解決策だったのだ。そもそもが、意識して簡単に直せるようなものではなかったのだ。できたらやっているし、何度も試みたのだと彼女は言った。
「でも駄目だったの」
彼女は悲しそうな目をしてそう言っていた。どうしようもなかったのだと。以来、美樹は生来の口の悪さを内に秘めながら、ずっと付き合っていくしかないのだと諦めるようになっていた。話さなければいいのだ。口を開かなければ問題は起きないのだから。そう自らに言い聞かせながら。
けれども、周りはそんな美樹を認めてはくれなかった。持ち前の美貌も相まって、なにをしていようとも美樹は際立って目立ってしまっていたのだった。
彼女が望もうが望まざるが、周囲の人たちは美樹に話しかけてきた。一人を好んでいた美樹に対して、女子生徒は持ち前のお節介やどろどろとした縄張り意識から、男子生徒は猛烈に尻尾を振りたくりながら、関わりたくないのに自ら近づいてきた。話しかけて、口を開かせて、真正面から針に手を突き出していった。
次第に美樹は影で悪口を囁かれるようになる。そうならないようにしたつもりだったのに、誰かを傷つけて恨まれてしまっていた。言われもない噂をいくつも立てられ、見ず知らずの人たちからも嫌われるようになってしまった。距離を置かれ、興味本位や嫌悪感から不躾な視線を向けられるようになった。その結果、美樹はどんどん口数の少ない女の子になっていく。
「あの頃、亮太が側に現われてくれなかったら私は潰れてしまっていたと思う」
真剣な目の色で過去を告白されたのは、つい先日のことだったのに。
高校時代、とりわけ僕と知り合ってからの一年半、美樹は僕の前でだけああやって気兼ねなく話すことができたのだ。ありのままの自分でいられた。考えてみれば、他の人よりも僕に対する口の悪さは際立っていたような気がするのだ。彼女にとって僕は、追い詰められながらも掴むことができた最後の救いに違いなかった。
美樹はまだ周りの人に対する怯えを拭いきれていないのだろう。おそらくは他人との距離感も的確に掴めないでいる。他人と普通にコミュニケーションが交わせない孤独感、心細さを、そしてどうしたって傷つけてしまうことへの罪の意識を、はち切れんばかりに膨れ上がった自己嫌悪を、今日に至るまでずっと抱き続けてきているのだった。
だからこそ、僕は美樹を攻めるべきではなかった。僕が攻めてはならなかったのだ。確かに腹の立つことが多いけれど、それでも僕は受け止めるべきだったのだし、受け止めてあげられたはずだったのだから。
しばらく町中を走り回って息が上がってきた頃に、僕はようやくとある公園のベンチに座る美樹の姿を見つけた。手にはハンカチを握り締め、ぼんやりとうな垂れている。様子から泣いていたのかもしれないと思った。僕の中の後悔が罪悪感へとその姿を変え始める。そして同時に、しみじみとした暖かな愛おしさが沸き起こってくるのも感じていた。その温もりは急速に僕の中を駆け巡ると、圧倒的な奔流となって僕の気持ちを覆い尽くしてしまった。
彼女は腹立たしくも可愛らしい、そして何があっても僕には憎みきれない奴なんだと、ついつい頬が緩んでしまう。
まるで長く我慢して、ようやくおいしく食べられるようになる渋柿みたいに、美樹と付き合っていくことには辛抱が必要なのだ。
「やっ」
俯く美樹に近づいて、できるだけ明るく声をかける。びくりと肩が飛び上がった。声だけで、彼女は僕の存在に気がついてくれる。まあそれでも顔は上げてくれないのだけれどもさ。
しばらく前に立って待ってはみたけれど、美樹は頑なに僕の顔を見るつもりはないようだった。ため息が出そうになる。でも、何とか堪えた。
そっと隣に腰掛ける。広がる公園を眺めることにした。枯れ草のような芝生の先に桜の木々が立ち並んでいて、その上に青く淡い空が広がっている。白いのんびりとした雲がゆっくりと浮かんでいた。これからどこへ行くのかぼんやりと想像してみたけれど、どれだけ考えてもどこへも飛んで行きそうにはなかった。
「さっきはごめん。ちょっと熱くなっちゃったんだ。ほんと、ごめん」
そう、雲を見ていたら自然と言葉がこぼれ出た。どこからか小鳥の伸びやかの声が聴こえてくる。軽やかに透き通ったその音色は、風に乗ってどこまでも響いていくような気がした。どこまでもどこまでも。今日という一日を祝福するかのようだと感じた。心地よい賛歌は、遠く恋人に語りかけるかのように青空を駆けていく。
ふと、柔らかな温もりを左に感じた。見れば美樹の頭が僕の肩に寄りかかっていた。顔は未だに下を向いたままだ。でも微かにのぞくことのできた唇は、小さく言葉を紡いで動いていた。
ごめんね。多分美樹はそう言ったのだろうと思う。
――素直じゃないんだから。
多分僕は美樹のことがかなり苦手なんだと思う。でも、だからと言って美樹のことが嫌いだったりするわけじゃない。美樹にとって僕が思う存分話すことができる相手であるように、僕にとっても美樹は大切な人なのだから。
だから、寄りかかる美樹の肩にそっと腕を回してみたんだ。
吹いた風は、もうすぐ暖かな春を連れて来てくれるのだろう。
そうしてまた一年。
僕たちはこうして一緒にすごしていくのだと思った。
(おわり)
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