それを当たり前としてまだ懲りずに”非正規は死ね”と
同じカラクリの中で疑問も持たず生きている人もおかしい。
なんかゾンビっぽいけどな。
メリケンの極端な自由主義者っていうか、「お互い関係なく生きようぜ、だから何しても勝手だろ」という思想なんだけどさ。
結局これってアメリカみたいに土地がバカ広くて資源も農作物も不自由しない国の考え方だよなぁ。
土地もモノも余りまくってる時だから関係なく生きれる幻想を持てるわけで。
ちょっとでも不足が始まるとお互い関係なく、なんて無理なんだよな。
ウィキペディアの編集を始めて4ヶ月、細部の編集から始まり、資料をあさって記事を作り、削除依頼や統合提案に手を出し・・・この頃はノリノリだった。しかし、深入りするにつれ議論、議論、ぎろーん
ウィキペディアの議論はダルい。なにがダルいってネットで匿名の相手と合意形成が目的なところがダルい。たいして意味がない上に正解がない議論が長期化すると更にダルい。「そもそも正式名称がないものの記事の名称になにを採用すべきか?」とか。
大量の方針文書・ガイドラインとその草案、先行議論も萎える。時に聖書の解釈議論のように方針の解釈議論に及ぶ。英語版の方針や先行事例持ち出してくる奴までいる。素人法律談義に及ぶこともある。謎のキーワード「百科事典(=脳内百科事典像)として」が乱れ飛ぶこともある。なぜそんな顛末なことに拘るのかさっぱり理解できないような事に拘って反対し続ける方もいる。それが能力も行動力もあって弁も立つが、頭がおかしい奴なら最悪だ。議論に参加する人数が案外少ないのも曲者だ。平行線を辿った挙句自然消滅したりする。
抱えているすべての議論が終わったら記事だけ書いて余生を過ごしたい。
連載マンガにおいてちょくちょく休載が入ることって今ではそんなに珍しいものではなくなった。読者の感覚も最近は鈍くなってきているような気がする。
なんせ冨樫義博の例があるから、年に3回も4回も突発的な休載が入ったとしても動じないわけさ。イブニングの餓狼伝なんかはひどい。休載を予告しているとはいえ、あんなわけのわからんペースで掲載するなら最初から「不定期連載」をうたっとけよと思う。あれもサボリ、「落とした」と言っても良い部類だと思う。
「面白ければサボッても許される」という感覚を生むので児童誌においては冨樫の扱いというのは教育上よろしくないし、そんなに誉められたもんじゃないと思う。ただし、漫画家にとっては福音というか、希望の指標なんじゃないかとも思ってる。わがままが許される、というのも漫画家の地位向上の形の一つだと思うんだよね。烈海王じゃないけど、強さってそういうことだと思うんだよね。
たださ、やっぱり読者はもう少し怒って良いと思うよ。だってサボリはサボリなんだもん。「クリエイターは大変だから」とか漠然と考えているのかもしんないけど、「プロだったら落とすな」という言い方もできるはずだと思うんだよね。
これはソフトウェア(OSとかエロゲ)の発売延期についても同じことが言えると思う。発売延期ありきのスケジュールを立てている悪いエンジニアや広報が居ないか。
同じような甘えが、今マンガ家の間にも浸透しているような気がする。
矛盾はしないかもしれないが、どう考えても一般的なフィクションという語の用法とは違うね。
「昔々、太郎と花子というものがおりました。太郎と花子は愛し合い、結婚し、子供を作り、そして死にました。おしまい」
思考実験として、こういうフィクションを誰かが書いて発表したとしよう。
日本の歴史上、太郎と花子という恋愛結婚をして子供を作ってなくなった夫婦はたぶん何組もいただろう。
その現実の一致/類似の発見をもってその物語はフィクションからノンフィクションに変化するのか? 普通はそういう使い方をしない。
むしろこの作品が仮に偶然に現実世界の特定人物名等と一致したとしてもフィクションであることを主張するために、「この作品はフィクションです」という注意書きはあるんじゃないのか。
これは純粋な思考実験だが、もっと長い物語で、現実と多少の齟齬があっても、それは脚色だ、と言い張ることは可能だろう。
たまたま捜査一課に十津川と亀井という名の実在警部と刑事がいて、たまたま西村京太郎作品とどこか似た事件を解決していたとして、それで西村京太郎作品がノンフィクションだったということにはならない。
こういう姿勢の人間が多いからこの手のプロジェクトは失敗するんだよな。
今のところこの施設に関しては具体的な運用は決まっていない。だから「咲とけいおんとゼーガペイン」が加わる可能性も十分にある。
だが、殆どの人間は積極的にそうなるように応援する気はない。誰かが勝手に自分の願望を叶えてくれるのをただ待ってるだけ。
で、当然のように自分の望み通りとは違うものが出来上がって文句を垂れる。少なくともこの十数年は政治も経済も文化もずーっとこれの繰り返し。
・その人材を適所にあてはめる。
・人々の士気を保つ。
・チームの結束を強め、維持する。
・変更は、あらゆるプロジェクトの成功のために(ほかの大抵の物事についても)必要不可欠である。
・人は安全だとわからないと変更を受け入れない。安全が保証されていないと、リスクを避けようとする。
・リスクを避けることは、それに伴う利益をも逃すことになるため、致命的である。
・人は、面と向かって脅されたときはもちろん、自分に対して不当に権力が行使されるかもしれないと思ったときにも、安全ではないと感じるようになる。
・どれほど強い脅しをかけても、最初に割り当てた時間が足りなければ、やはり仕事は完成しない。
・さらに悪いことに、目標を達成できなければ、脅迫の内容を本当に実行しなければならない場合もある。
つまり……
心で指揮をとる。
組織に魂を吹き込む。
くだらないものを嗅ぎ分ける鼻を持つ。
・戦闘が始まるときには、管理者のほんとうの仕事はもう終わっている。
・採用には、管理に必要な身体の器官、心臓、魂、鼻、腹をすべて使う(しかし、腹が大部分だ)。
・一人でやろうとするな。二つの腹には、一つの腹の2倍以上の力がある。
・新しく採用した人材には、1回は実証済みの能力レベルのプロジェクトを任せ、ほんとうに目標を拡大するのは次回とする。
・意見を求めよ。最も採用したいと思った人物は、ほかの優れた人材を知っている可能性が高い。
・話すより聞け。
・短期的に生産性を高める方法などない。生産性は、長期的な投資によって向上する。
・短期的な効果を約束するものは、いんちきである可能性が高い。
・やる気のある態度を常に引き出そうとしない人物をリスク管理人に任命せよ。
・悪い話が上層部に伝わりやすい経路(匿名性など)を作っておくこと。
・無駄を減らす。
・成功を最大化するより、失敗を抑えることによって、全体的な成績を高めることができる。
・チームの結束については必要のない賭けはしない。既存のチームを探して利用する。
・結束の遅い、または結束しないチームのために後継者が困らないよう、優れたチームは維持する(本人たちにその意思があれば)。
・新しい仕事を引き受ける意欲のある結束の固いチームは、プロジェクトの成果の一つと見なす。
・プロジェクトの初期にむだにする一日も、末期にむだにする一日も等しく打撃になる。
・一日をむだにする方法はいくらでもある……しかし、一日を取り戻す方法は一つもない。
・仲間との対話の中で、プロセスの進行に関する考えを伝えたり修正したりするためにモデルを使う。
・実際の結果と照らし合わせてモデルを調整する。
・病んだ政治はどこにでも、最も健全な組織にも出現する可能性がある。
・病んだ政治の決定的な特徴は、個人の権力と影響力の目標が、組織の自然な目標より優先されることである。これは、病んだ目標が組織の目標と相反する場合でも起こりうる。
・病んだ政治の副作用の一つは、少人数のプロジェクトを抱えることが危険になることである。
・単位を気にするな。客観的な尺度ができるまでの間は、主観的な単位を使えばよい。
・手に入るすべての基本要素(ソフトウェアの数量化可能な特徴)をもとに合成尺度を作成する。
・考古学的データを収集し、これまでに完了しているプロジェクトから生産性の傾向を算出する。
・合成尺度の公式をいじり、その値と、考古学データベースのプロジェクトの労力の相関関係が最良になるポイントを見つける。
・過去のデータベースをもとにトレンド・ラインを引き、予想される労力を、合成尺度の値の関数として示す。
・つぎに、予想を立てるべき新規プロジェクトのそれぞれについて、合成尺度の値を計算し、それを使ってトレンド・ラインから予想される労力を割り出す。
・生産性トレンドのノイズのレベルは、予測を立てるときの誤差の目安にする。
・優れたプロセスと、プロセスを絶えず改良することは、立派な目標である。それらはまだ、ごく自然な目標でもある。優れた技術労働者は、指示があろうとなかろうと、それらに焦点を当てる。
・形式的なプロセス改良プログラムには時間と金がかかる。一つのプロセス改良プログラムのために、プロジェクトが交替することもありうる。生産性の向上が実現したとしても、そのプログラムを受け入れたプロジェクトでプロセス改良の為に費やされた時間を相殺できる可能性は低い。
・プロセスは、注意深く選んだ一つの手順改良によって、その変更に投資した時間と金に報いるだけの利益を期待できることがある。
・プロジェクトの期間中に二つ以上の手順改良に順応することは、現実には期待できない。複数の技能改良プログラム(たとえば、全般的なCMM等級の引き上げ)は、プログラムを実施しなかった場合に比べ、プロジェクトの完成を遅らせる可能性が非常に高い。
・標準的なプロセスの危険な点は、人々が賢明な省略を行う機会を失わせることである。特に、人員過剰のプロジェクトの場合、標準的なプロセスによって全員に行き渡るだけの仕事(役に立とうが立つまいが)が発生するなら、標準的なプロセスが厳密に守られてしまう。
・デバッグの時間を大幅に減らさなければ、プロジェクトの成績を通常より大幅に高める方法はない。
・優れたプロジェクトは、デバッグに費やす時間の割合がはるかに低い。
・優れたプロジェクトは、設計に費やす時間の割合がはるかに高い。
・相手を好きになり、気遣わなければ、人に違うことをさせることはできない。相手を変えるには、相手の考えていることとその理由を理解し、尊重しなければならない。
・一時的なプレッシャーや残業は、人々の商店を定め、その仕事が重要であるという認識を高めるには有効な方法かもしれないが、プレッシャーをかけすぎると、かならず失敗する。
・管理者がプレッシャーを使うことが多いのは、ほかになにをすればいいのかわからないから、または、ほかの方法の難しさにひるんでいるからである。
・おそるべき推測:プレッシャーや残業を使うほんとうの理由は、プロジェクトが失敗したときにごまかすためかもしれない。
・管理者の怒りと侮辱は伝染する。上の管理者が怒鳴ると、下の管理者も同じような行動をとる(虐待された子供が自分の子供を虐待するようになるのと同じ)
・管理者が部下を侮辱すると、それが刺激となって部下は自分の仕事にされに力を注ぐと思われている。これが、「飴とムチ」式管理で最もよく使われる「ムチ」である。しかし、侮辱によってだれかの業績がよくなるという証拠はあるのか。
・管理者が部下を刺激するために侮辱を使うことは、部下ではなく管理者の能力不足のしるしである。
・仕様書があいまいなのは、システムの利害関係者の間で対立が解決されていないしるしである。
・入出力の完全なリストのない仕様書は、見込みなしである。使用を明確にする最初の一歩にもならない。
・仕様書がお粗末だとはだれも言わない。自分のほうが悪いのだと思い込みがちである。
・開発に複数の当事者が関わっている限り、利害の対立は避けられない。
・対立は尊重すべきである。対立はプロらしくない行動のしるしではない。
・全員の勝利条件を尊重することをあらかじめ宣言しておく。あらゆるレベルで勝利条件を引き出すようにする。
・勝利条件が相容れないか、または部分的に相容れない場合でも、関係者が対立解決の為に仲裁に移行するように、あらかじめ準備しておく。
・触媒のような人格というものがある。そのような人は、チームがまとまって結束し、なおかつ健全性と生産性を維持できるようにすることでプロジェクトに貢献する。触媒がほかになにもしなかったとしても(通常はほかにもいろんなことをするが)、触媒の役割は重要で貴重である。
・仲裁は、触媒の役割の特殊なケースである。仲裁はわずかな投資で学習できる。
・「あなたたちの仲裁をさせてもらえますか」というささやかな儀式の開始が、対立解決の本質的な第一歩になることがある。
・致命的なのは知らないことではない……知っているつもりで、実は知らない何かだ。
・初期に人数が多すぎると、プロジェクトは重要な設計作業を省略せざるをえない(全員に仕事を与えるため)。設計が完成する前に大勢に仕事を割り当てると、人や作業グループの間のインタフェースを最小化できない。
・このため、相互依存性が高まり、会議が増え、やり直しが増え、フラストレーションがたまる。
・理想の人数配分は、プロジェクト期間の大部分を少人数のコア・チームで行い、プロジェクトの終盤(プロジェクト期間の最後の6分の1ぐらい)に人数を大幅に増やすというものである。
・おそるべき推察:無茶なスケジュールを達成するように決められたプロジェクトは、妥当なスケジュールで開始されたプロジェクトに比べ、完成までに時間がかかると思われる。
・会議は、重要ではない人物が出席しなくても心配のないように、小さくする必要がある。欠席者が安心するための最も簡単な方法は、議事予定表を発行し、それに厳密に従うことである。
・プロジェクトには儀式が必要である。儀式は、小規模な会議や無欠点運動など、プロジェクトの目標と理想に目を向けるために使う。
・注意:怒りは恐怖である。部下に対して罵倒などの怒りの行動をとる管理者は、ほとんどの場合、怖いからそうしているのである。
・考察:怒りが恐怖であることをすべての人が理解すれば、怒りは、怒っている人が怖がっていることを明確に示すシグナルとなるだろう。起こっている人は、恐怖を表に出したくない。つまり、怒りが恐怖の表れだとみなにわかってしまったら、怒りを吐き出すこともできなくなる(これは怒っている人の問題は解決できないが、ほかの人の悩みは軽減できるだろう)。
・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。
・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。
・倹約精神とは、失敗した企業の中で、その失敗の責任者が作った公式である。
・それは、組織の自然な目標である繁栄と福祉の精神とは正反対である。
・「倹約精神」という言葉を聞いたら、その本当の意味である「失敗と恐怖」に置き換えるといい。
その人は管理者であると同時に開発者だから、個人的興味からIPなどの情報を普段から生データから拾って見ているんじゃないかという気味悪さが大有り。
開発者と管理者は分離されていないとまずいでしょ普通は。グニャラくんは自分のポジションを明確にした方がいい。
うちの流儀だとか、若い会社だから良いんだという言い草は通らない。
ポジショントークだなんて言ってないよ。NaokiTakahashiさんのあの反論は真っ当だよ。生活が、というのは、それだけ真剣だって意味。
むしろ、ポジショントークやってるのは地下猫さんのほう。普段から自分の主義主張のために何でもかんでも結びつけて論じるばっかりなの。今回はそのボロが出たってだけ。もっとも、ボロはいつもだしてるけど。
じゃあNaokiTakahashiは生活のためのポジショントークってこと?
デリヘルで電話番&運転手やってたが、釣りの確率が高そうな増田嬢だな。
釣りじゃなく本当に風俗嬢やってるとしても勤続短いだろ。とりあえずもっと仕事しろよ。
金払って話しだけ、食事だけ、お酒だけなんて客はどんなに美形や人気嬢でも時々いるからな。
むしろ人気嬢や勤続長ければそういう客に遭遇する確率が高い。
「お金だけ払って何も」しない客に増田嬢が一度だけしか出会ってないということはそういう嬢だということだ。(経験が少ない or 人気がない=場数を踏んでいない)
『「お前を抱く価値はない」と宣言され』てもいないのに、「お金だけ払って何も」させずに客を帰すのは問題ありすぎだろ。
何もしないのはなぜだか客に聞けばいいし、自分から「何かしてくれる」雰囲気を作っていかなきゃダメだろ。
今時、可愛い嬢や一生懸命サービスする嬢はたくさんいるからさっさと辞めた方がいい。
こんな事考える嬢は客のストーカー気質を刺激したり、突然自分の脳内で客と恋愛してパッくれたりで、上客を潰すことがあるから美形でも俺ならママに早く辞めさせろとアドバイスするなw
最近ミクシィの日記にとある男友達がよくコメントくれるけど、そのコメントが怖い。
友達が怖いんじゃなくてバックに居る彼女が。
友達の彼女は私の友人でもあるけど、ものすっっっっごく嫉妬深い。
友達が女の子と話してるだけで、すごい不機嫌になったりする。
その友達がコメントくれる事自体は嬉しいけど、彼女に恨まれてないかが怖い…。
彼女自体とはいい友人だけど、男友達がコメントくれるようになってから彼女はぱったりコメントくれなくなってしまった……。
これが男女の友情の弊害なのかな……?
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090601/plc0906011855009-n1.htm
まぁどうせ飾られるのはポケモンとかジブリとかガンダムとかなんでしょ?
常々思うんだが世の中に日々起こっている出来事を
報道するかどうかの段階で取捨選択が入るのだからすべての情報として表に出てくるものは
程度の差はあれ常にいづれかの方向へのバイアスがかかっていると見るべきじゃね?
ブラとショーツセットで3500円って下着代にもならなくね?ゴミが売れたと思えばいいのかな