そいつは自営業してる父親の家庭に生まれた。
けっこう両親ともに年食ってから生まれてきたので、
父と母というより祖父と祖母に近いくらいだろう。
生まれてから数年のことは聞いてない。
そけいヘルニアだとか、階段から転げ落ちて頭を縫うとかはしたらしい。
彼の記憶によれば、最初の登園日など、送迎バスに乗るときに母親と離れたくなくて暴れてたらしい。
母親は、休み癖も小学校になれば変わるだろうと思ってたようだ。
小学校にあがる。
人見知りが激しく、
「お友達になるために自己紹介カードを交換しましょう」なんてお遊びをやった時、
あまり交換してなかったような気がする。と言っていた。
小学一年でも既に休みぐせが増えていたが、まだ許容範囲だっただろう。
小学二年からは休みが多くなり、教室に入りづらいと既に思っていたかな、とのこと。
小学三年で完全に不登校になるが、担任教師が「放課後クラスのみんなと一緒に遊びましょう」ということをやってくれたらしい。
そいつはしぶしぶながら行き、その癖楽しんでいたかもしれないと言っていた。
小学四年では、担任の努力の成果か、学校に、休み休みながら通っていたし、友達っぽいのも居たらしい。
しかし、秋ぐらいにぱたりと行けなくなってしまった。何故かは憶えてない、と。
小学五年ではそういう奴専用の教室のようなものが学校内に用意されてそこに通い、
六年にはそういう奴専用の、市の施設みたいなところに通っていた。
卒業式には出たという。
そいつは中学校に上がった。
俗に言う中二病みたいなものが、ほんのちょっとあったかも、と悶えていた。
それが原因か性格が原因かは知らないが、同級生に少しからかわれていた。少し
それが原因か他になにかあったのかまでは解らないが、また不登校になった。
前述の施設に(小中学生どちらも行ける)また通いはじめたらしい。
中学二年では、テストを別室でもいいから学校でやれば、点数になって高校受験の時の評価になると言われ、
別室でやっていた。
自宅学習とか出来ない奴だったらしいが、
半分以下の順位になった時は一回以外全く無かった。と自慢していた。自慢かそれ
中学校三年生。
相も変わらず施設には通って、学校復帰の兆しは見せなかった。
成績はあんまり変わらなかったが、数学と英語の成績に頼った危うい成績だったため、
個人授業の塾に通っていたらしい。
それなりに成績が上がって、30/150人くらいの順位をキープしていたらしい。自慢気に言うな
受験前というのもあったが気づけば5教科すべて個人授業を受けていたらしい。金かかっただろうな。
受験。成績はともかく、内申点が壊滅的だったが、普通高校に志願した。
学校で練習したり、前述の施設でも練習し、最終的に担任に誉められて喜んでいた。単純な奴め
結果は合格だった。
ネットで確認した後、一応ということで学校での合格確認の帰り道、
たまたま学校で一緒に面接の練習してた、"普通の"子が落ち込んだ顔で通り過ぎていたらしい。
俺は、不登校という理由で落とされるのと、真面目に学校通ってた子が落とされるのと、どっちがマシかなと思いながら聞いた。
そいつは高校に進学した訳だが、
もう早速不登校になりそうだとかほざいていた。
何年も不登校だった奴が突然行ける訳がない、解っていただろうに。
周りの人も忠告していたらしい。リハビリがてらに中学校に顔出せと。
そいつは今更になって現状を怖がっていた。
高校すら行けなくて、将来どうするのだと。
それだけです