小説とは嘘である。だから今日という日にここに小説を書くというのは理にかなった行為であると思う。だから今日はここに存分に書いてやる。書きまくってやる。小説だから嘘なのであり実在の人物などには関係がないのである。勘違いしないように。ちなみに筆者は太宰治の『人間失格』を読んだことはないのだが、きっとこういう話なのだろう。
もはや死んでしまいたいと男は思った。
だが死ねなかった。死ねるはずもなかった。あらゆることに下手な嘘をつき、死にたいという自分の気持ちにすら嘘をつくようになった。ただ問題を先送りし、問題をさらに悪いものにするしか能がない男にそこまでする甲斐性も度胸もあるはずがなかった。男はもはや生きているのか死んでいるのかよくわからない生活をするようになった。今もそうしている。
男がこうなってしまったのは大学4年のときにさかのぼる。彼は初めて留年したのだ。
中学受験も成功し、そのままエスカレーターで高校も入学、大学受験も某有名国立大学に入学と順風満帆な人生だった。ところが大学3年に入ってからその人生がきしみはじめた。前期のあるテストで今までにないほどに手も足も出なかったのだ。その出来事は男のプライドを大いに傷つけ、その傷ついたプライドを修復しようとするあまり大いに肥大させた。「授業に出なくても大丈夫だ」とよくわからない妄想をするようになったのだ。後期は惨敗だった。
留年という事実に耐え切れなくなった肥大したプライドは男を逃避行動に誘った。挫折を経ず、反抗もすることもなかった男は見た目以上に子供だった。外に出ることをやめてしまった。インターネットで肥大したプライドを慰めることしかできなくなった。いわゆる引きこもりでニートになってしまった。事あるごとにつっかかり、事あるごとに自分を卑下し罵倒した。いや、自分を罵倒する癖は以前からあった。
男は過去にあった忌まわしい記憶をいつまでも覚えており、些細なことでそれを思い出し、後悔するという妙な癖があった。その記憶は自分に好意があった女の子を泣かせたとか、自分が重要な役の学芸会に少しの熱で休みそのことを先生に怒られたとか、他人から見たらなぜそんなことで思い悩まなければならないのか不思議で仕方がない代物ばかりである。だが男はそんな自分が許せなかった。そんな癖が自分だけでありおかしいことに気がついたときにはたまりにたまり、もはや取り返しがつかないほどのトラウマ状態になってしまっていた。それを思い出したときは数分間自分を罵倒し続ける時間が続き、何もできなくなってしまうほどになっていた。
言うまでもなくその癖は引きこもりになっている間にさらに悪化した。些細なことに対してでさえ自分を許せない男が引きこもりになった自分を許せるわけもなかった。授業に出ないこと、ネットに依存していること、ろくに外に出ないこと、ただだらだら寝ていること、まるで掃除をしないこと、自分に嘘をついていること、それらすべてが自分を罵倒する理由となった。もはや何をすることもできなくなっていた。4年の前期は1単位も取れなかった。
さすがに心配になった指導教官がカウンセリングを男に薦めた。だが男は自分を騙すほどの嘘つきになっていた。カウンセラーの前でひたすら自分の好きなことをしゃべるばかりでまったく役にはたたなかった。後期も単位はなかった。
男は引越しをすることにした。自分が引きこもりになった原因をネット依存だけに転嫁しようと思い立ち、インターネットができない環境に自分をおくことにした。だがもはや遅かった。男の癖はインターネットがあろうがなかろうが関係ないほどにその心を犯していた。ネットがなくなり依存するものがなくなった男はただ寝続けるようになった。
彼が反抗することを知っていればどれだけよかったであろうか。それでストレスを発散でき多少なりとも心の均衡が取れれば多少の改善は期待できただろう。だが彼は反抗することを知らなかった。限りなく彼は子供だった。ただ寝続け、そんな自分を罵倒することを繰り返した。その1年、彼は人をやめた。
彼は研究が好きだった。あらゆる物の分析が好きだった。ひたすらひとつのことに没頭できれば幸せであった。そんな男の夢は研究者、エンジニアになることだった。だがもはや彼がエンジニアになることはないであろう。勉強ができない、向上できないエンジニアに価値はない。夢は閉ざされた。
男はようやくエンジニアになることをあきらめ、学校を中退し就職することにしようと考えるようになった。だが考えるのが遅すぎた。その年、世界は大恐慌に見舞われた。それはいまだかつてないほどの大恐慌だった。部品を作り、それを組み立て、海外に輸出するという商業体系に依存している日本はその恐慌をまともに受けてしまっていて、働き口などなかった。
男は再び迷っている。まだ退学届けを出していなかったので大学に戻ることはできる。だが戻ったところで勉強できる保証などない。いや、できるわけがない。だがこのまま就職活動していてもこの大不況のときに2留で中退などという男を雇ってくれるなどという酔狂な企業も期待できない。たとえ来年景気が回復しても、彼はおそらく新たなトラウマでもう就職活動などできなくなっているだろう。
だが彼が死ねるわけがないのだ。自殺できるものは勇気があるのだろう。死ぬ勇気が。彼にはない。遺された親族のことを考えるとそんな気も失せてしまう。それはただ死なないでいい理由を探しているだけの逃避なのだが。これから彼は親が死ぬまで一生依存していくしかないのかもしれない。いやきっとそうなるのだろう。
嘘つきで親不孝。男は人間として失格であった。
もう一度言うがこれはフィクションだから現実の世界とは関係ない、ただの物語である。
ちなみに筆者はこの世のあらゆることは面白さに満ちていると考えてるので何があろうと絶対自殺することはできないと思います。
同意。極端なんだよなー、考え方が。中学生のようだ。
ブコメでも書かれているけど、おそらく彼は増田に好意があったんだろう。
で、悲しいのはそれが罪になってしまうことなんだな。。。
慣れてる人ならうまくやって増田とお近づきになったんだろうね。
つまりは、この“怖い人”と言われてしまうような人間は、生きてるだけで罪なんだなぁ。
死にたくなる…
その前にいろいろと定義することがありそうだな。まず、「すべての物事が原理と呼ばれる少数の仮定より演繹されること」を仮定しなくてはいけない。
これが原点というか第一の教義ではないだろうか。とここまで書いて、これは科学に限ったことではないかも知れないと気づく。
http://anond.hatelabo.jp/20090309121810
Webで確実に成立しているのは物販モデルでしょ。不況でダンピングはわかるけど、少ないPVでも、それなりの単価商品でも平気で買っていくわけだし。
どの作品でもファン、アンチが存在するが、自分が気に食わなければ他のファンに食って掛かるのが醜い。
お前が好きなあれはダメだ、でも俺の好きなこの作品は良いだのと自分の考えのみを主張するのってどうかね。
その上、性別までが分かれているとキモオタだの、腐女子だのと罵る始末。
自分に賛同しなければ、そいつは敵だとばかりの警戒。
ぶっちゃけた話、オタクはどんなに幅を狭めて否定したって全部ひっくるめてオタクなんだよと。
同属嫌悪するのは大いに結構だが、第3者の視点から見るとすげえ惨めでマヌケな光景だ。
そこに男尊女卑ズムを合わせてきたら、もうこいつどうにかしてくれ・・・と思うわけで。
最近は、俺が分け隔てなく付き合いを続けてるだけで睨んでくる有様に。
いつからオタクってこんなのばかり増えたのかねえ。
結果には必ず原因が存在する。
よって、奇跡は決しておき得ない。非常に低い確率で起こった事象は偶然である。
我々は善悪を定義しない。
我々は正誤の定義は行う。
正であることは善ではないし、誤であることは悪ではない
正誤の判断は再現性若しくは統計的有意性を持って判断される。
糖尿予備軍なので参考になった。大筋賛同できる。ただ、まったく取らないのも考え物なので、適量で行ったほうがいいかも。
PCに1日向いてると身体がなまってくるし肩も目周りも痛む→ほぼ動かないから代謝が低すぎる→数値は悪くなる一方 なので、
できるだけ朝も夜も歩くようにしてみたら、スッキリ早く寝て、仕事にも早く行って、昼に仕事をこなせるようになった。
代謝が改善されてるんだろうけど、絶対的に身体を動かさない環境で調子悪くしてる人は、雨降ってない日だけでいいから、せめて歩くといいよ。
個人ニュースサイトに補足されるとすぐ1~2万アクセスくらいいくけど、常に最初に来るところと、後追いのところとのおおまかな順番が決まってて、その流れを毎回見てる限り、後追いの人はほんとに脳みそ使ってない(Viaが後に行くほどマイナーサイトになっていく)。インターネットの伝搬性上、仕方ないのだが、毎回これはどうなの。5時間くらい更新チェックに時間掛けてる人とやってない人の差なのでしょうか。
クリック率もニュースサイトから来る人は非常に低い。置き土産的に何百人かの読者が増えるメリットもあるけれど、損得で見れば「少しの得」、という程度。だから、よく増田で(被リンク側からの)ニュースサイト不要論とかが出てくるんだろう。
リンク元の構成はどれも似たり寄ったりで、相手先のカウンタ見る限り、ヲタマンガを補足するとアクセスが多くなる傾向がある。