2009-02-17

続・ブログを読んでいて感じる楽しさと恥ずかしさ

http://anond.hatelabo.jp/20090215151350

返答やコメントいただいた方ありがとうございます。何が言いたいかもわかっていない人間の書いた記事に反応を頂けると思っていなかったのでとてもうれしいです。返答をいただけたことで、少し私が言いたいことがわかってきたように思うので続きを書きます。

中川大臣の話が出てきたのでそれをもとに話します。トラックバックをくださった方が、中川大臣についてコメントしている人すべて無意味とおっしゃられていましたが、私にとっては違います。私にとってはコメンテーターにはいい人と悪い人がいるのです。そして、私がまさにその悪い方だという認識が、私の「恥ずかしさ」につながっているのです。

どういうことかというと、自分の中では「中川大臣飲酒疑惑」というニュースに対して、自分言葉でしゃべっている人といない人がいるのです。どのチャンネルを見ても、自分言葉でしゃべらない人のコメントは、ただ与えられた情報オウム返しにしているだけで、何の情報も増えません。。的外れでないかわりに、別にそのチャンネルでなくても、その人がいなくても別の人が言うだろう、というコメントしかしません。こういう人はいつもそうなのです。一人もいないとそれはそれで困りますが、こういう人の割合が多い番組はとてもつまらない。ただ一つのニュースを引き延ばしているだけです。こういう人が自分にとって悪いコメンテーターです。

逆に、テリー伊藤さんのような人は、たいてい言うことが的外れ時代錯誤的だとは思うのですが、おっ、と思わされるところがあります。少なくとも、自分言葉でしゃべっている。場を動かしている。周りに、彼に遠慮せずに反論できるような人さえいれば、番組は面白くなるんじゃないかと思うんです。なかなかうまくいかないようですが、少なくとも彼が番組にいることにはよかれあしか意味はある。それが自分にとってはよいコメンテーターです。そして、私は私を悪いコメンテーターだと思います。

実際に書いてみて、私は自分のことだったらなんとか書けるんだということを知りました。それを知ってもやはり長文ブログを読んでる時の恥ずかしさは消えませんでした。だから、自分で何か書けないことが原因ではないようないがします。たぶん、他の人が書いた文章を読んで、それを自分と関連付けて、自分言葉で何かを語ることができないのです。だから反応や挨拶しかできない。私が読み手であることが、筆者様に何の意味もないということに、少しさびしさというかや、自分のふがいなさを恥じる気持があるのです。自意識過剰かも知れませんが、この他人の心に反応できないにぶさというか、他人の文章を自分の中にうまく取り入れられない心の狭さのようなものが恥ずかしさの原因ではないかと思います。大変長文になってしまい申し訳ありませんが、これを今の時点での回答とさせていただきます

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