そんな夢のような誇大妄想を一体どこで育ててたんだw
よくオレもそう思ってブログを書いたりするんだが、
何年たってもいっこうに変化が見えなかったりしてがっかりする。
結局自分でやるのが一番早いのかもしれないと思う。
コンピュータゲームが生まれて以来、ほとんど進化がない状況が現在まで続いている。
うわべだけのキレイさで本質的な部分が進化してないことを覆い隠してるだけのゲームが多すぎる。
RPG、アクション、シューティング、どのジャンルでもそうだけど、製作者がつづった物語をユーザーに押し付けるだけ。
物語を左右する重要な場面に遭遇したとき、プレイしているユーザーはまさに千差万別の考え方をもって
そのイベントに参加しているはずなのに、誰がプレイしても同じ内容。
ガッチガチに固定されたスクリプトで動いてるから、ユーザーの行動に対して動的に対処できない。
最短ルートを進んでいき、敵にとって相当な脅威となっているようなプレイでも、寄り道に寄り道を重ねてボケーっと進んでいようと
同じ対処しかしない敵。
RPGだと敵は世界を掌握していないのにボケーっと待ち構えているだけ。
アクションなら、ザコをスルーしてボスを瞬殺し続けているような猛者に対しても決して対策を取ろうととしない敵。
いつまでシナリオとキャラが違うだけの似たようなゲーム作り続けるの?
こっちの行動に対して動的に対処できないの?
コストがかかる?商売にならない?
まぁ、そういう言い訳して既存のフローに沿ってゲーム作ってるほうが楽なのはわかるけどね。
まだ初期段階だけど、ValveなんかはLeft 4 Deadでユーザーの状態を定量的に測定する手法を実装してるよね。
コレが即革命的な何かになるわけじゃないだろうけど、着実に進歩してる。
ユーザーごとに異なる体験を届ける、っていう壮大な目標に向けて着実に歩を進めてる。
日本はどうなの?ゲームらしいゲームとかホザいてる人たちは進化について考えてるの?
ほっとけば誰かがするようなグラフィックの向上じゃなくて、ゲームとして別の次元に到達するような何かを作ってる人いるの?
歌舞伎や相撲、能、雅楽といった古典芸能のように存在し続ければそれなりに需要あるだろうけど、
それだけじゃ面白くないじゃん?
俺も考えてるけど生きてるうちに何か出来上がりそうにないから、考えをここに記して誰かに期待する。
誰かよろしく。
自分の考えに都合の良い価値観を「空気」と称して正当化するなよ。
言いがかりじみた一般化を展開するあたりがいい人君そっくりだな。
うちもなにか得体の知れないものが入ってるときあります。
中学・高校とまともな仲間が見つけられなかったから東京の大学に行けばすごい奴がいるだろうと思っていた。
しかし、その目論見は甘かった。東京に来てやっとオタクという集団が見えてきたけど、実態は全然ぬるい連中だった。
まず、話してもつまらない。「ああ、逃避の場所としてオタクを選んだんだな」というのが丸わかりなほど、まともな返答ができない奴が多すぎる。会話の中で(こういう言葉は嫌いだが)ボケを言うにもアニメの台詞の引用だとか、マニアックな言葉(ただし、オタク内では全くマニアックではない)を言う程度のことが「面白い」とされている。それですら誰かが言っていて「ここでこれを引用すれば面白い」と学習した上でのコピーでしかないし、全く自分の発想や意見というものを持っていない。アンテナもすっかり折れちゃっているみたいで、話題作をネットのみんなが言っているような感想でしか斬れないし、注目されていないけどこれが面白い、ここをこういう視点で見ると面白い、というものが全くない。
当然、私が自分の考えているアイデアや意見を言うと、あっという間に「お前は面白い奴だな」という評価が定着しちゃったけど、何を言うか、お前らがぬるいだけだ。
そして、オタクは消費も創作もして自給自足するハイパーなユーザーなんだなんて言うのは大嘘だというのがわかった。
行動している奴なんて本当に少数で大半のオタクはただアニメを見て「一緒にオタク作品を消費している」という連帯感で人との繋がりを保ちたいだけ。今のオタクは「孤立したってこの作品が好きなんだ」なんて覚悟はないしむしろ逆で孤立したくないからアニメを見る。
視野が狭くて自分の視野に入ってこないものへの差別意識が強い。見もしないで見下したり、何の根拠もなくオタク文化が上だと思っていたり。
これならギャルや演劇や現代アートの奴らの方がまだ自分の意見を持っていて話していても面白い。面白いなと言える活動をしている人はオタクじゃないことが多い。
ちょっと前に敏感で優秀な若者はゲームやアニメに行っているから日本映画やドラマはつまらないなどと言う言葉を見たことあるが、今はアニメやゲームにも行っていないんだなということがわかった。どこかは自分でもわからない。
要するに自分の掴んだオタク像は話がつまらなくて、自分で面白いものを発掘したり意見を言ったりする能力がなく、視野も狭くて排他的で何の行動もしてなくてダラダラとアニメを見ているだけって感じです。
2000年代はオタクの年だったと言うことができるけど、既に凋落は見え始めていて確実に2010年代はオタクの年ではなくなるだろうなと思いました。
言わんとしてることがわかる。
男、女としての魅力とスキルはあっても、人間的魅力とスキルが足りないっつうかね。
けっこー見た目が良くてそれによりかかってスキルを磨いてこなかったんだなって人もいて
もったいねーなと思う
高速道路を国道化して無料化すると、内航フェリーのほとんどは競争力を失うので、廃業することになる。廃業しないで済むのは、短距離便と空港の無い離島便ぐらいという事になる。短距離便は橋梁や海底トンネルによって置き換えられるし、離島便も、空港が作れないほど小さい島だけという事になるであろう。
内航フェリーは事実上完全廃止という事になるが、何か、不都合があるというのであろうか。
貨物船や客船は成立するが、貨客船の需要は、もともと落ちている。船舶輸送中のサービスを一切しない貨物船においては、荷役コストが重要要素であるし、船舶輸送中のサービスが命である客船においては、イメージ戦略こそが重要となる。貨客船は、そのどちらでもなく、橋やトンネルが無くて、それを使うしかないという客の弱みに付け込む商売でしかない。貨客船が不便で高価だから、橋やトンネルを望む客が出てきた時点で、存在意義が否定されているのである。
地方の港に揚がった鮮魚を大都市に運ぶ船便というのは、ナンセンスである。船で運ぶのならば、地方の港に揚げずに、漁船が直接消費地の港に行った方が、合理的である。そもそも、地方の港に揚がった鮮魚は、トラック便で運ばれる。貨客船の巡航速度は20ノット(時速37km)ぐらいで一番燃費が良くなるように設計されている。10時間で370Kmである。トラックならば時速90Kmで走れるので、4時間ちょっとで追いついてしまう。地方の港に揚げてセリにかけてトラックに積み込むまでに3時間かかったとしても、7時間後には追いついている。休憩や道路事情による予備時間を加えたとしても、トラックの方が、はるかに早いのである。
工業製品を運ぶのにも、郵便物を運ぶのにも、速度が重要であり、高速道路が張り巡らされている状態では、わざわざ港で船待ちをしなければならない船便よりも、トラック便の方が速い。
競争力の無い内航フェリーに補助金を出すのであれば、かつての石炭鉱業合理化臨時措置法と同様に、廃業を前提とした処理とするべきであろう。
性別関係なく大人になってもそういう甘ったれた関係続ける人はだめなんじゃないかと思う。そういうとりあえず仲良くすればいいとかいう子供じみた考えじゃ生きていけない。世の中なめすぎ。渡る世間は鬼ばかり。自分以外はすべて敵と思うのがあるべき姿。
一応つられておくが増田で友情が成り立つこともおおめに見られることもないだろjk
そんな偏った暮らすわけをどこでもしてるわけじゃないと思うが。少なくとも自分のところはなかった。
子供は難で勉強しなきゃいけないのかとか、勉強しろというなというが、小さい子ほど勉強はするべきだと思う。
それは第一に、学校生活をする上で役得があると感じたからだ。
まずクラスである。できる子どもとできない子のうち、できる子はA・B・C・Dとあれば、できる子はA・Bに入れられる。
申し訳程度に悪い子もいるものの、それでもほぼ3分の2はできる子で構成されている。
A・Bの役得はイベントの結果に現われていく。運動会・合唱で優勝するのはA・Bであり、C・Dが日の目を見る日はない。
担当の指導力と構成する生徒の実力が違うのである。
C・Dの損は大きい。特殊学校の生徒を受け持つのはC・Dである。イベントでもその点でネックになり、負担も大きい。
あまり良くない生徒と過ごすことも多い。
増田間でも友情は成り立つと思う。
でも、増田の友達しかいない人っていうのは問題がある人が多い。
増田だと若干大目に見てもらえる場合もあって、そういう関係性でしか親しくなれないタイプの人。
増田は友達じゃない。仲間じゃないよ。特別に入れてあげているだけ。
大目に見てもらえない関係の人とも仲良くなって見せろよ。
今頃いちゃいちゃしてるのかなあ