2009年01月27日の日記

2009-01-27

学生証と定期券が入った定期券入れをなくした。

プログラミングの演習のTAとして、学内にある全ての演習室に行って連絡事項を伝えている途中でなくしたものだと思われる。

…本来は、生徒がいなきゃいけない演習室の場所は1箇所に決まっている。

けど、生徒は守らないから、こういうことをしなくてはいけない(と考えていた。実際は約束守らない生徒が悪いのでやる必要は無いらしい。)

で、こうやって真面目に頑張った結果がこれだよ。

いつも思うが、なんで真面目な人間ほど損をしなくてはいけないのだろう?

不真面目な方が楽だし損をしなくて済む。それは分かっているのに結局真面目にやってまた損をして(ry

…もう自分性格が嫌だ、死にたい

http://anond.hatelabo.jp/20090127231942

その国際金融論とやらはどれほど偉いんだ?

何がどう常識なんだ?

言ってみろクズ。自分じゃ何もできないくせに。

http://anond.hatelabo.jp/20090127231705

育児のしやすさに関しては、一夫一婦制と一夫多妻制という軸よりも、核家族制と直系家族制という軸の影響度のほうが大きそうな気がするぞ。

すくなくとも戦前日本ではそうだったと思われるんだけど。

貴方の議論はどうも核家族制を前提としてるように見える(プレイヤーが直接の親しかいないという意味で)。

http://anond.hatelabo.jp/20090127231705

横だけど哺乳類でもつがい制度は珍しいよ

猫なんか気に入れば誰とでも交尾

犬も発情したら出会い頭に交尾

もう親誰だか判らないぐらい交わりまくる

猿とかボス制度使ってると、みんなボス女性子供になる

哺乳類以外だと、魚は大体乱交、フグなんて久里浜海岸で女1人に男5~6人が数十組の大乱交が見られるよ

カニも乱交、カニ名産地だとフグのように見られる

それ以外だと蚊もそうじゃなかったっけ

メモ

作中にあったセリフ

"お前を信じる俺"

"俺が信じるお前"

"お前が信じる俺"

"お前が信じるお前"

"俺が信じる俺"

見当たらなかったセリフ

"お前を信じるお前"

"俺を信じるお前"

"俺を信じる俺"

http://anond.hatelabo.jp/20090127231002

彼女が全体重をかけないよう気を使えばいいんでは。

http://anond.hatelabo.jp/20090127211103

要は、B(ペッティング)までは結婚しても他人とやっていいんじゃないか?それを禁じる根拠って何?ってことだよな。

誰かわかる?

http://anond.hatelabo.jp/20090127060454

少し考えたが、

女自体、男自体もアイテムの1つと考えられないか?

いいアイテムが揃うといいセーブデータができるのと同じだな

http://anond.hatelabo.jp/20090127201008

俺 158cm 52kg

彼女161cm 59kg

というようなカップルなので無理です。

http://anond.hatelabo.jp/20090127225719

ディーター・ラムス展ではなく貴方に対してのコメントだけど。

所詮は大衆の使う日用品に、貴族趣味持ち込んでどうすんの。悪い意味日本人的だなあ。

彼氏千夜一夜物語やらせてみた

一人暮らしを始めるようになって毎日のように彼氏が家に来るようになった。

色々する相手が出来るのはいいが毎度毎度何もしないで飯食って泊まって帰るのが少々面白くないなので「今度から家に来るたびに違う種類の踊りを披露するように」と要求した。

現在十種類目。いつまでもつことやら。

http://anond.hatelabo.jp/20090127203036

163cmだよ。体重BMI平均値彼氏はややマッチョの173cm。

あんまりしつこくすると耐えきれなくなるのか逆にひっくり返されるorz

こっちだけ気持ちよくなるのがなんだか申し訳なくて

おんなじくらい気持ちよくなってほしくていろいろしたくなる。

おっぱいで口と鼻しばらくふさいだ後のなんともいえない悦楽顔とかほんと好き。

増田って全然会話が成り立たないな

誤爆みたいなレスが多すぎ。

http://anond.hatelabo.jp/20090127225253

少子化が進む現在において、本当に一夫一妻が優れているのだろうか?

いまこそ多夫多妻制にすべき時だ!

添削

http://anond.hatelabo.jp/20090127211103

この寓話がダメなところは「フルートを自前の礼拝堂の前で吹く」という行為を「セックス」になぞらえていることだよ。だって、普通楽器演奏って、大勢の前で演るでしょ? この設定だと、一対一で「演奏セックス」をするのは、多いけれども特殊な契約で、一対多数で「演奏セックス」するのは通常の行為の範囲ということになる。大勢の人の前で演奏(乱交する)のが当たり前の世界で、たった一人に契約外の演奏を聞かせた(セックスをした)からって、それほど誰も怒らないだろうねえ。

浮気をして実務的にまずいところは、「婚外子」が出来るというのもあるけど、今はそういうことで差別するのは良くないって風潮があるから経済的に許せば、そんなに問題ないかもね。決定的にまずいのはね。「不衛生」ということなんだ。血液交換するようなもんだからさあ。身近なところでは性病ってのがあるけど、肝炎なんかもうつるしねえ。一対一でセックスしている限りは、そうそう菌が拡がったりしないからね。

だから、あくまでも寓話として仕上げたいのなら、「フルートを貸し借りする習慣がある」という風にしたらどうだろう? フルートの貸し借りは一対一でしか行ってはならないと法律で定められている。で、いろいろ探し回った結果、お互いに最高の相手だと思える相手と巡り逢い、フルートの貸し借りをする契約を交わした。ところが、片方がもっといいと感じられる相手と巡り逢ってしまう。しかも、本当はどちらがいいのか、吹いてみないと判断がつかない。契約前に1回だけ貸し借りをすることは認められているが、契約相手を決めてしまったら、貸し借りは出来ない。とすれば「病原菌が付いているかも知れないフルートなんかくわえられない」とパートナーに拒絶されてもしかたないかなあということになると思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090127223557

会話で漢字使うのは無理だから手紙メールにすべきだったんだろな。

http://anond.hatelabo.jp/20090127225253

でも多くの動物では乱交系だから一夫一婦制が優れてるとも言えないのでは?

人間社会だって育児政府予算市場経済とか使って多くの人で分担するようになってるし。一夫一婦がいいのはきわめて特殊な環境なんじゃなかろうか。

ディーター・ラムス展 感想

http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_2263/pid_2.html

・かつて、「家庭電化製品の“かたち”」が大きなメッセージを伝えられるメディアである、デザイナーにとって幸福だった時代があった。'60~'70年代中期までの話だ。

当時と現代では、そもそも生活家電だけではなく、「生活道具」と人との関係が違っている。

・この人のデザインは、我々工業デザイナーにとって喉に刺さった骨のようなもので、これこそが「正しい」デザインと教えられてきたし、自分もそう思ってきた。間違いなく現代デザインの大きな源流(原泉)の1つだ。常に脳の片隅に、これこそが正しいデザインなのであって、我々は日々、間違ったものを作っているのだという意識が、引け目がある。

・実物を観察してみた限りでは、結局、これはこれで1つの時代の主義・主張・イズム・メッセージであって、

人とモノの関係というものに「正しい」「間違った」ということは、その時代の価値観に照らして決定する、相対的なものでしかないということ。

すさまじいほどの醜い製品が氾濫していた当時と、低コスト品でもそれなりの質感を持つ現代では人とモノとの関係も全く違ったものとなっている。

・「工業デザインとしての正しさ」自体はあらゆる時代に通用するものであっても、そのプライオリティは時代によって違っており、結果、常に「工業デザインとしての正しさ」が優先されることはなくて当然、ということ。

・現代においてこのメッセージは、経済性やパワーへの希求など、現代人の価値観に優先され得ないであろう。つまり、マスとしては受け入れられないだろう。

・たとえばデザイナーに衝撃を与えたオウムの「サティアン」。あれは「目に見えるものには価値がない」「中身にこそ意味がある」とするあまりにラディカルな思想を体現していたわけだが、あそこまで極端でなくても、「実用に耐えれば外見は問わない」といった考え方は、醜い中国製の筐体を使ったデスクトップPCや、100円ショップ製品でかまわない、とする現代人に通底するものだ。

・丁寧に作られた製品は、持っているだけで幸福を与えてくれる。それはクオリティブライフ、その人の人生価値そのものである。そういった製品がほとんど量産されず、ごくニッチになってしまっている現状は、人にとって間違いなく不幸な状態である。

・しかし、実用品は「とりあえずないと困る」ものでもある。醜い製品でも用が足りれば、とりあえずその「力」は手に入る。現代の多くの人が求めるのは何よりその「力」である。

良い、悪い、以前に、そのような時代だということだ。

近代工業デザインの始祖、モリスは、あまりに醜い量産化された食器や壁紙生活家電などのコンシューマ向け製品(生活品)のありかたに憤慨し、「アーツアンドクラフト運動」で、たとえ工業的にでも「丁寧に作る」というクラフトマンシップを大切にする考え方と、工業時代の新しい美の価値観...シンプルイズムを創造する、という2つの提案を行った。

・それらの主張は、このデザインドイツの超絶的な加工精度で市場に出た時点で完成を見、その後衰退していったものと考えられる。

・この人のデザイン本質は「禁欲主義→形の単純化・ミニマリズム」と「形のバランスリズム」と「質感の高さ」である。

・今では不可能な質感の高さ・加工精度がシンプルな形状を支えている。たとえばラジオ筐体のプラスチックの肉厚は2mm以上ある。このような製品は成形時間の短縮・材料費節約などの要請で、現在では作れない。

また、ラジオ他のスピーカー穴も「切りとばし」形状になっているが、安全性や金型作成の作業性などの問題で、これも現代では作れない。

・そのために犠牲にしたものも多い。直線で構成された食器などは明らかにバランスや機能が劣り、日用品・生活品としては失格である。

・これはよく言われたことだが、本当に筐体の裏面の金型まで磨いてある製品は初めて見た。

裏面の加工をしない事が、日本製品コストが安い要因であり、ドイツ製は間違っている、という言い方がされたが・・・今見ると、それこそがドイツ製品の「ありよう」の要であることがわかる。

・たとえ壊れたとしても飾っておきたい風格のある日用品が現代のどこにあるだろうか。

現代ではドイツでさえそういった製品は作れない。一種のオーパーツのようなものになってしまっている。

SONY製品の、特に初期のデザインは、この人の直系、ぶっちゃけモロパクリである。

・参考:TV番組NHK美の壺」-「民芸

 http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20090116.html

・参考:書籍:Yanagi Design―Sori Yanagi and Yanagi Design Institute

http://www.amazon.co.jp/Yanagi-Design%E2%80%95Sori-Design-Institute/dp/4582620442/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233064510&sr=8-1

・参考:展覧会柳宗理-生活のなかのデザイン

 http://www.momat.go.jp/Honkan/Sori_Yanagi/index.html

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