なんというか、もっとヤキモキするような展開にしないと、新学期を前に鬱になるヤツがでそうなアニメである。
良くできているからこそオタク受けしなさそう、というのはなんか逆説的で面白い。
それってまず前提として「オタクはリア充じゃないもの」ってのが必要だよね。
今のオタって別にリア充でも全然おかしかないんじゃないかな。
そういう層なら、別に鬱になることもなくストレートに楽しめるんじゃないかしら。
あと、非リア充のオタクは、それを鑑賞する自らの非リア充振りを自嘲・自虐してみせることが娯楽の一部になっていたりするから、
増田が考えてるほどダメージは大きくないんじゃなかろうか。いやダメージ受けてる人もいるかもだけど。
で、さ。こっちがむしろ本題になりそうなんだけど、リア充・非リア充を問わず、
非リア充アニメ(もちろん、非リア充が仮想世界で大活躍、な話じゃなくて、
非リア充が延々と恵まれない生活を送る姿が物凄く丁寧に描かれたアニメのことね)
の方が痛々しくて見ていられないと思うのだよね(リア充・非リア充を問わず)。
オチがハッピーエンドでもアンハッピーエンドでも、何かやるせない気持ちになりそう。
少なくとも「単なるリア充アニメ」と比較して、オタクに人気が出るとは到底思えないんだよな・・・。
そもそも非リア充ってのは、エンターテイメントの主人公になんかてんで向いてない人種なんじゃないか。
その非リア充性を逆に笑い飛ばす「NHKにようこそ」「絶望先生」みたいなのはありうるけど、それはギャグとして成立する範囲の話でしかない。
笑えない領域の非リア充ってのは、アニメの世界ではほとんど見られないもののように思う。誰かに笑ってもらえる形でなけりゃ、娯楽にならないし。
どうしてもこれ以外の方法で非リア充を主軸に据えたエンターテイメントを作ろうとするなら、
そこには何か詐術が必要になってくる(凄く美形キャラであるとか、周囲が魅力的な異性だらけとか、宿命的に重大な役割を負わせられているとか)。
そして、どう頑張っても、物語の主人公となった時点で「非リア充性」が損なわれてしまうことは避けられない。
非リア充の非リア充たる所以の一つは「物語の主役になれないこと」であり、引いては
「別に自分がこの世界に居なくても誰か困ったりすることがまず存在しない」という「存在の軽さ」にあるのだから。
「だから非リア充アニメは全く成立しない」とか「存在からしてダメだ」とかいう話じゃないんだけど
(そうだね、宇宙船サジタリウスをバカにする人は、控えめに言って死ねばいいんじゃないかな)、
オタクでさえ、自分が見て楽しむなら「非リア充」より「リア充」を好む人々の方が多いんじゃないかね?
そういう意味で、アニメもまたリア充のものであると言えるんじゃないだろうか。
これ書いてたら何か無性に泣きたくなったんで、リア充アニメを見て一刻も早く忘れることにする。
君も忘れろ。非リア充なんてどこにも居ない。
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