思いのほか伸びてびっくりしてる元増田だけど
スーツだよ。
生地がどうだだの作りが安いだの言われて腹が立ったのですよ。
給料?安いよ?w
その程度のことを旦那に相談もせず、愚痴るってどんだけなんだよ女は。
旦那のよかれと思っている気持ちは完全に無視しているところが恐ろしい。
とりあえず早々に話せば?
ちょっと待て。
上司命令ってことは、私服じゃなくて、会社に着てくる服がひどすぎるからなんとかしろって命令じゃないのか? それってファッション以前の問題だぞ?
い
表紙や巻頭折込じゃなくて、中の(概ねモノクロ&線画の)挿絵だよね?
ラノベは本文で伝えるべき描写はほぼ終わってるわけですから、挿絵はあくまで読者の脳内イメージを完成させるための存在です。
絵の一コマ一コマで1から10描写しなきゃいけない漫画と求められているものが違います。
どれだけ描き込んでも目を通す必然性の低い挿絵の評価は、(たとえ実際多くの読者が閲覧してるにしても)絵師の労力に見合わないものになるでしょう。
加えて臨場感あふれる描写は、場合によっては読者の脳内イメージと食い違いを起こし、かえってマイナス効果になるかもしれない。
そういう意味では読者毎のイメージと軋轢を起こさない、曖昧さの残った絵でちょうどいい。(もちろん作品次第ではありますが。)
だから機能的にも、金銭的にもあのクオリティで出版社・絵師・読み手共に妥協してしまうわけです。
…なーんて、知ったかぶりしたい単なる読み手はそう思ってますが。
個人的には挿絵の存在価値というのは、絵のクオリティ云々より、いかにイメージし辛い場面や演出的な場面に挿絵を配置し、
読みやすく・分かりやすく・テンポを崩さないようにする部分が大きいと感じますね
----
トラックバックが…
失礼しました
「俺の行きつけの店で」云々なんて痛くて言わないだろ?
買わねえよ、って言ってる奴にあーしろこーしろなんて事も言うか?
って発想自体が子供じゃないか。
お前ら、幾つなんだ??
世の中の大半はスーツ族だし、
そのスーツには何の興味ももたれないんだぞ?
「厚労省は5日以降の衣食住も提供せよ」…『派遣村』から6項目の要望:痛いニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1206317.html
使い捨て前提の雇用システムを運用し続けた結果、生存権が脅かされている人々が出てきている状況に対して暴言を吐ける人は、自分たちがこれからどうなって行くか想像が出来ないのではないかと言う気がしてきた。下手をすれば明日は我が身だと言うのに。
なんか勘違いしているようだけど、女性の50代ってほんと仕事がないんだよ。
掃除のおばちゃん、レジのパートのおばちゃんは、「働いている女性の中で」は割と一般的な部類。
同様に掃除をしたり、レジをしてる男性は、「働いている男性の中で」は底辺よりちょっと上くらいだろ。
カーブの前で減速、とかも丁寧にやるのは大事。
なんなんだよ、このマザーコンピュータのせいだったの黄金パターンは。いつまでやり続けんだよ、マジで。もう、2001+8年だぞ。2061年とかになってもやり続ける気か。この設定をみんなそんなに求めているわけ? 僕は誰もそんなに求めているとはどうしても思えないんだけどな…。
ハヤカワ・創元の棚ににこのパターンのSFが2,3冊以上ある状況って一体どうなのよ。いい加減やめろとはそこまで言わないけどさぁ、国書刊行会に2,3冊とかでいいと思うんだけど。
まぁこのパターンは昔からあって、突然襲ってくるロボットのパターンの金字塔と言えば「フランケンシュタイン」があるし、映画「ターミネーター」や小説「未来の二つの顔」や演劇作品「R.U.R.」などにもあるし、日本の古典作品「撰集抄」の中にも存在しているけど、それがいまだにSFの中心に居座り続けている状況ってどうなんだ? なんで「物語の出発点の基礎」みたくなっちゃってんだよ。突然襲ってくるロボットや狂ったマザーコンピューターの基本は変えずに、登場の仕方・理由付け・規模・デザイン・展開…が違うだけで、みんな同じなんだもんな。ミューをどう扱っていいからわかんないからとか(地球へ)、人間を環境破壊の要因とみなすとか(キャシャーン)、権力者に操られてとか(メトロポリス)、どっか遠くからきた兵器だったとか(バーサーカー赤方偏移の仮面)、恋愛沙汰の末とか(アンドロイドお雪)、ディテールは違うけど、基礎の部分はまったく同じ。この設定に誰も飽きないのか?
突然襲ってくるロボットとか狂ったマザーコンピューターは、創作上かなり効果的な装置なんだとは思うよ。
平凡なロボットの日常と言ったら、家・工場の作業がメインとなると思うし、その中で非日常的なロボットを刺激的に登場させようとしたら、自分を人間として認識しているとか(あなたの魂に安らぎあれ)、何の前触れもなく単なる材料とみなすとか(大暴風)、限られたパターンの中に収まってしまうけど、その何の前触れもなく襲ってくるロボットが最も刺激的で効果的なフランケンシュタインの怪物の登場の仕方なんだろう。それに、突然やってくるからその理由をうまくオチにできるし、説明もたくさん書ける。
マザーコンピュータに関しても、人類を管理しているから、何も知らない人類との対比がうまく描けるし、突然やってきたヒーローに焦るコンピューターという描写も描けるし(ボトムズ)、昔から人類と交流があるから管理する課程を簡単に省略することもできるし(スチール・ビーチ)、管理課程を省略できるから主人公と突然起こる事件描写を十分に描けるし(ゴールデン・フリース)、いろいろと都合がいいとは思うんだけどね。
そして、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターパターン「フランケンシュタインコンプレックス」はSFにとって非常に都合が良いものなんだよな。
大体のSF作品は上下巻、上中下巻がメインの長さで、100巻越えるSF作品なんてそうそうない。2冊、3冊という制限の中で物語を展開しようとしたら、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピュータはとても相性がいい。先ほど述べたように、突然ロボットが襲ってくるから下手にページ数をかけて開発過程を描かなくていいし、マザーコンピューターは人類を既に管理しているから政治的な導入課程を省ける。まとも描いたら時間がかかる物を描写しなくていいという画期的なセットなんだと思う。短い間の中で未来史を描こうとしたら、これほど都合がいい設定はない。
だから、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターパターンがSF作品に非常に多い。上下巻という短い間の中で十分に物語を描ける設定だからこんなにもSFの中で氾濫しているんだろう…と僕は思う。
でもそれって一体どうなのよ。突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターを縮小再生産していたら、似たり寄ったりなものばっかりになってしまうと僕は思うんだけど。別に突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターは悪くないけど、SFでそればっかやってると飽きられて冬の時代へ行ってしまうんじゃないか?
もうそろそろそういう設定のSFを復刊してもよくないっすか?