2008-11-26

シュウカツをしていて思ったこと

就職活動における意思決定をするということの恐ろしさというものをひしひしと感じている。何かを決めるということは、何かを捨てるということに他ならない。普段我々が行っている意思決定のほとんどは、再出現率が高い。よるごはんを食べる。今日どの服を着ていくなどである。これらは次の日が来ればまたほとんど同一の条件で意思決定を行う場面が再び訪れる。なので、リスクというものがほとんど生じない。改善することは要求されるが、失敗しても人生に影響を与える可能性は極めて低い。

しかし、新卒就職活動というものはこれとは大きく違う。それは、二度と同じ機会が訪れないからである。新卒という日本独特の風習の中で、この意思決定というものは非常に重い決定である。どれだけ転職がしやすい環境になったといえども、働けないからといってすぐに転職できるほどに日本という社会は開放された環境ではないと思われる。転職に対する風当たりは今も強いに違いない。そして、何よりも一度就職すると、新卒という肩書きを失ってしまう。これは日本社会では非常に大きいことであるということは、述べるまでもないだろう。就職活動をしている人間ならわかるであろう。企業側は新卒に対しては、まるでお客様のように扱ったり、子供のようにやさしく接する。その様子は羊の皮を被った狼が、羊を狩るために群れに向かっていくようで気がしてならない。

それだけではなく、22歳という非常に気力、体力、記憶力という資本をどこに投入して収益として何を得るのか、これも非常に重要である。まさに1人1人が自分自身の経営者であり、自らの決定に責任を負わなければならない。まさに自己責任のである。しかも失敗しても首にはならない。首にしてくれない。監視をするのも自分である。どれだけ負債を背負っても潰れない。自分自身の経営者を辞めるには首をくくるか、天寿が来るのを待つしかない。それまで辛く苦しい戦いが続く。今はその出発点にいるのだろう。

少なくとも、これらのことを考えると就職活動における意思決定の1つ1つが今後の人生に大きな影響を与えることは容易に想像できる。そう考えると非常に恐ろしいことである。自らの無限なる人生シナリオを捨てて、自分にとって最適なものを選び出さないといけない。自らの今の価値観をそのままこの意思決定に反映させて良いものかと疑心暗鬼に陥る。つまり、いつの自分にとって最適な意思決定をするのかということである。今のベストが将来のベストにつながる保証はどこにもない。大げさかもしれないが、経営者としての腕を試されているのかもしれない。

不安と興奮が入り混じる。どちらかと言えば不安のほうが強い。

とりあえず絶対内定のワークシートをするか。話はそれからだ。

  • まあどうやっても食ってくことくらいはなんとかなるから、きらーくに受けといで。

  • 25歳まではある程度やり直しきくから、気負いすることなく人生を選ぶといい 1回目の選択ほどちやほやはされないが、それでもそれ以降よりはずっと簡単だ 年齢だけが重要で、若いから...

  • 絶対内定のシリーズだけはやめとけと言いたい。 どうせやるならまだこっちのほうがマシ。 http://www.amazon.co.jp/%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE-%E3%82%A2%E3%83%AB%E...

  • おいらはしゅーかつくん、しゅーかつちゃんが大っ嫌いなんだけど、まさにこういう考え方が嫌いなの。 たかが就職活動なのに「失敗したら一生終わり」みたいな。 まぁ、一大事っちゃ...

  • 現実の世界へようこそ。君に悪い知らせと良い知らせがある。 悪い知らせとは、今まで君はゆりかごの中にいたということだ。取り返しのつかない決断を迫られることなんて人生にいく...

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