2008-11-22

体罰ダメ。ゼッタイ。」は、ダメ。ゼッタイ

http://anond.hatelabo.jp/20081121183459 は、思考停止法律信者お話にならない。まあ、来年から教員になるとのことなので、そういう思考停止をしていた方が、自身の為にはなるかもしれない。子供達の為でなく元増田自身の。

体罰信者のようなタイトルだが、別にそうではない。自身は、体罰をするしないなんてのは単なる技術論と思っていて、体罰一律禁止が正義と思ってる人達に対する違和感を。

懲戒は多くの教育手段、教育技術の中のひとつ。

懲戒ってのは、叱ったり怒ったり罰を与えたり体罰したり。教育のやり方は色々。褒めまくるのもあり、友達的に接するのもあり、距離を置くのもあり、ジキルとハイドでいくのもあり、色々。懲戒は、それぞれのやり方の中で、さらに多くの中から選択される1アクション

教師達は、日々よりよいやり方を模索研究し、アクション一つ一つに適切な選択が出来るようにしてしかるべき。これは、将棋と同じで、ひとつの答えがあるわけではない。結果がすべて。

大事なのは子供人生精神健康

将棋は、勝てばよい。一つ一つの手は、それが勝ちに繋がったかで評価される。では教育活動の1アクションはなにで評価されるかと言えば、子供がよりよい人生を送ることに与するかどうかだろう。それを実現する基盤が精神と身体の健康と考えれば、精神と身体の健康が当座の評価基準になるだろう。将棋の勝ち負けのように判りやすい評価は困難だが、これをおいて他にあるまい。

もちろん、心身の健康は、後人生だけでなく、教育期間中にもよりよくある事も当然評価に含まれるだろう。

体罰なしだって、子供に痛みを与えている

その子供人生がどうなるか、精神がどうなるか、健康でいられるかに比べたら、ビンタされて一時的にヒリヒリするとか、正座で足がしばらく痺れるとか、短時間の身体の痛みなんてまったく取るに足らない。もちろん治療を要する怪我をさせるのは、単に傷害であって、体罰関係なく禁止なので、この話と関係ない。

体罰などせずとも、言葉責めだって子供の心に苦痛を与える。子供はときに大人の思いも寄らぬ言葉の受け取り方をするので、ただ普通に叱るだけでも、精神的には傷害を与える事はある。レクター博士が一切の物理的干渉無しで隣の牢屋囚人を殺したように、体罰など関係なく、あらゆる懲戒子供に身体的であれ精神的であれ、苦痛を与える。それは容認して、一時的に皮膚がヒリヒリするとか足がしばらく痺れるとかの、短時間の身体の痛みを与えるのだけは、禁止するというのは、子供精神をないがしろにする判断というほかはない。

精神へのダメージはよほどのケース以外不問である一方、身体には短時間の痛みを与えるだけで、技術のない無能教師が子供の心身の健康を損ねさせるより、低い評価になるというのはまったく愚かな話。せめて、体罰を禁止するなら懲戒を丸ごと禁止にするのでなければ、ダブルスタンダードだろう。もちろん、そんな六枚落ち将棋を教師に指させて、誰が得をするのか知らないが。

あと、はてサ人権好きかも知れないが、精神ダメージや心身の健康人生幸福追求よりも、短時間の身体的痛みの回避が重要人権というのは、随分プリミティブな発想と思わざるを得ない。あるいは、六枚落ち将棋を教師に強要するのだろうか。

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