2008-11-17

ネガコメとか、ネガコメ論争とか

ネガコメすんなとか、ネガコメって何だよとか、いろいろ盛り上がってるね。

はてブ2.0に超期待とか。はてブもつまらなくなったな、とか。

でも思うんだ。ネガコメすんなっていう人(アンチネガコメ((ここでは所謂コメントの質が下がったとか、ネガコメが陳腐化してるなぁとか言って、あきれている人は含んでいるつもりはありません))と呼ぶことにします)とかって若干先鋭化し始めてるように(自分からは)みえるところがあって、言ってることとやってることが逆さまになってたりとか、非難してる人間と同質な事をしてたりするんじゃないかと。ネガコメに対してネガコメを返すとか。ネガコメiddisまくりーみたいな。てか増田であるよね、そういうの。ネガコメidを共有するとか、ネガコメするやつは死ねとか。

自分としては、それってテロリストテロとの戦いと同質の構図じゃねぇの? と思うわけです。その行動の結果はスパイラルを生むだけですよ。

まぁ大体(「アンチネガコメなひとに」)やられたやつって言うのは別にダメージなくて、むしろニヤニヤしながらそういう見てたりするんだけど、本人たちは大まじめに言ってる。実効性ゼロ、むしろそのネガコメidに対して燃料を与えているに過ぎないわけです。

アンチネガコメ」な人たちはいつも同じ様に、彼らに燃料を送り込んでは自分を燃やしてる、そういう風に見えるわけです。自分から見ると。

いや、何もするな、粛々とネガコメの餌食になれば良いんだという訳ではもちろんなくて。

もっと良い方法ってあるんじゃないの? ということ。いや、むしろ、「だんだん自分もそうなってますよ」と、俺が言いたいだけか。

そもそもネガコメボーダーって何処だろう。それが聞きたい。

つまり、どこまでがネガコメなのか、ということ。

たとえば、多少辛辣さが入ってればなんでもネガコメなのか。それがあからさまな悪意であろうが、そうでなかろうが関係なく?

要するに大量のid(など)から「匿名」か「匿名っぽく」自分の考えを「否定される」ことがいやなんだろうなと言うことだとりかいしてるんだろうけど、それは現実世界でもよくあることで。つまり、偽装したり、脱法・違法行為を働いた企業に対してマスコミとか、所謂街角の人が「あれ、いけんよねぇ」って言ったりとかしてるように。

てかホッテントリ入りするようなエントリって、そういった風な、昔のよくある「炎上」と同じ構図があったりするのじゃないのかなぁ。つまり論理的・倫理的突っ込みどころがあったりとか、あと、デリケートな話題に主観だけでエントリ起こしちゃって、たこ殴りされてるとか。

たとえば、俺がダイアリーで「ワープアの人って無能で我慢が足りないんでしょ?」とかいうありがちな偏見記事を書いたとする。

したら、まず間違いなくbuyoではじまるあの人やgoodではじまるあの人、多分有村さんや俗物記のあの人当たりから、「偏見で語るな、ハゲ」的なブコメが一杯付く。disられる。

でもそういう人は、第一にその人をdisってるんじゃなくて、「その考えをdisってる」んであって、それはそれで、一意見として認められ売るんじゃないかと。

あーいや、さっき上げた人らは確実に、「そういう思考をするその人そのものをdisってる」のが多いな。例が悪かった気がする。

つまり、ここで言いたいことは「否定されてしかるべきエントリを書いたんだから、黙って殴られてろ」っていうことでは全然なくて、「そういうブコメも一つの意見であって、大量につくのは同じように考えてる人が多いという証左ではないか」なわけで((いや、もちろん例外はあって、そいつのブクマをたぐっていくとあからさまにdisりしかしてないidも見たことあるけど))。

とはいえ、いくら意見の集合体だからといって言い様はあるだろっていう主張はもちろんあるけどね。

でも、そういうことが言いたいんなら、なおさら、「ネガコメつけるやつは死ね」っていう表現の仕方は通らないと思うんだ。

個々の事例を考えていく時に、否定したい手法を用いて用いた手法を否定するっていうのは、おかしいから。それがつまり2段落目の「テロテロとの戦いと同質」ということ。

言いたいことが散乱してるけど、要するに、ネガコメが嫌いな人はもっと違う方法を考えた方が良いよと言うこと。

同時に、現時点では、そのネガコメが嫌いという主張もネガコメをして何が悪いという主張もほぼ等価((共通認識が得られていないから))なので、前者と同じように後者も扱われてしかるべきだから、そこら辺ちゃんと考えて策を用意しておかないと、味方は増えないだろうし、相手も説得できないよ、と思う次第。

まぁ、所謂「ネガコメ」派もちょっと自重した方が良いなとは感ずるけどね。やり過ぎというか。新自由主義的というか。

うあー、延々内容の薄いことを書いてしまった。

知り合いの言ってた「何でいちいち議論やら突っ込みを入れたがるのか」に関して言及してないし。

追記:

やったー! disってもらえた。

いや、disりなのか? あれくらいで?

さておき。

ブコメの方で

2008年11月18日 ekken communication, ★ 外からの言及は「見ない自由」を行使する自由が得られやすいことに気付けよな、アンチネガコメの人は。

っていうのがあったけど、そもそもアンチネガコメ派は「見ない自由」というものを理解してないと仮定して話を書いてみたんだ。

その上で、いろんな手法・アプローチがなされているけれども、それらに対して、妥当性や正当性を問うてみたのが上の文章。

なんだ、アブストラクトが6行で済むんじゃねぇか?

書き直しの方ですが、考えてみたいとは思います。

無駄に長いのは事実なんで。

てかこうなるとダイアリーに起こした方が良いのかなぁ…それこそ増田である意味がないか。

あと、

>まぁ、所謂「ネガコメ」派もちょっと自重した方が良いなとは感ずるけどね。やり過ぎというか。新自由主義的というか。

ですが、これはつまり、(自分を含めた)ネガコメ派の主張は、ほとんど全て、あらゆる言説は表現の自由の発露として、かなり広く(または―ひとによっては―際限なく)認められるべきで、そういった「広く認められた自由」の中で効果的でない言説は淘汰されていくだろうという立場なんだろうけど、それは市場原理主義に基づいた新自由主義と同様の考えじゃないのかなぁ、と考えたので書いた次第。

すっげぇどうでも良いことですが、Ubuntu氏が寡黙な上にこんな話にまでブクマしてるのを見て思わずお疲れ様ですとブクマで声をかけたくなった次第。

再追記:書き直しました。以上

  • アンチネガコメについて。 このエントリは、片に散らかった http://anond.hatelabo.jp/20081117191106 を再構成したり、加筆したり加筆したりといった、無駄な努力と抵抗の上起こした次第。 さ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん