2008-11-12

エリートへの敬意がないのは何故か?

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136972.html を読んで思ったこと。

日本には、エリートという伝統そのものがないからだ。

に同意。日本人エリートなんて頭でっかちだと思ってる。私も高校生ぐらいの頃まではそう思ってた。

けれども大学に入り、「エリートと成り得る人の卵」に接して、意見は180°変わった。エリートになるにはまず努力が必要なのだということに気がついたからだ。頭でっかちだと馬鹿にしていた官僚達も、勉強して努力してその地位をつかみ取ったのだ。そして、彼らは霞ヶ関で夜遅くまで働いている。そんな彼らをこき下ろすような論調のマスコミはあれど、彼らを讃え上げる人々はあまり居ない。これは何故か?

それについて元エントリではこう書いてある。

そして、なぜエリートを敬う伝統が生じなかったか。

エリートとなりうる人々に、人々が無礼をもって答えてきたからではないのか。

ではなぜ日本の人々はエリートと成り得る人々に無礼を持って答えてきたのだろうか?人々は無知蒙昧だからなのか?

ここで一つ疑問がわく。エリートとは元はフランス語であるが、海外ではエリートは人々に尊敬されているのか?とりあえず、手元にある The Concise Oxford Dictionary で elite を引いてみた。こうある。

a group of people considered to be superior in a particular sosiety or organization.

ここで superior という単語に注目してみたい。これを同じく The Concise Oxford Dictionary で引いてみたところ、5番目の定義にこうある。

conceited.

更にこれを引いてみると、

excessively proud of oneself.

とされている。少なくとも英語ではエリートという単語に日本語と同じく多少の侮蔑的な意味合いが含まれているらしい。元のフランス語ではどうなのかを調べるには残念ながら私の手元に資料が足りないし、あいにく私はフランス語がわからない。誰かフランス語が出来る方補足ぷりーず。

さて、人々はなぜエリートを敬わないかというところに話を戻そう。それは、普通に暮らしているとエリート仕事を実感することはないし、そもそもエリートに接する機会自体が少ないためエリートに未知のものに対するものと同類の恐れを抱いてしまうからではないのだろうか?まず前者については、エリートが優秀だから起こる現象だろう。結婚出産などといった国に一意に登録してある戸籍を変更するという大仕事でも、役所に書類を何枚か提出するだけですんでしまう。これはエリートが作ったシステムが優秀だからだ。優秀なシステムであるほどその中身や制作者のことなどユーザには連想させない。そしてこれが後者の問題にもかかってくる。エリートは優秀だからこそ人々の目に見えず、接する機会もなく、そして人々に誤解されていく。

かしこの人々の誤解をもって、人々は無知蒙昧だ、と断じてしまうこと自体が一番エリートを誤解させてしまうのではないだろうか?エリートを知るには少なくともエリートとある程度同じだけの高みに立たなければならない。そんな人がエリートを擁護して人々の無知蒙昧さや無礼さを非難しても、エリートエリート擁護派の人もよく知らない人々は両者を一緒くたにしてエリート馬鹿にされた、としか感じないだろう。

再帰的な話になってきた。このエントリー自体がエリート擁護派のエントリーであり、言外に私はある程度エリートと同じだけの高みに立っている人間で、エリート尊敬しない奴は愚かだと断じてしまっている。そしてますます人々とエリートの隙間を広げてしまう気がする。

どうにかしてこの再帰をほどくことは出来ないだろうか?

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