自分と交際する相手には向かないってことを伝える言葉だろ。
決して悪い人ではないというのが大前提。ただし自分とはなんかしらのワンポイントが合わないってだけ。
それとも増田は何か、女はすべての男に対して「ステキぃー」とか全肯定してくれないと満足できないとでも言うのか。
それに、同性同士で使う場合
「あの人いい人だよねー」「そうだよね」
この会話のどこに侮蔑が込められていると?
しこうの方が意味は分かりやすいけど、せこうの方が音の響きがいいと思う。
最初はしこうだと思ってた。せこうの方がポピュラーな呼び方だよね?
てことは既存を「きぞん」と読むのも同じだね
だから指さないって…。どれだけ被害妄想なんだよ。
自分は「施行」を、「せこう」と読まれると気になる。イラッとまではしないけど。
既婚で妻以外の女性とセックスするつもりはなく、ただ一般論として「女性は結婚するまでは処女がいい」などと語っているのなら
(賛同するかは置いといて)気持ち悪くはないけれど。
それならだいたい自分の感覚とも近い。
欲望の対象として「処女」という属性を重要なものとみなすのはガキっぽいというか、性的なものへのコンプレックスと嗜好が一体化しているようであまり愉快なもんじゃないね。多分処女厨房をガキっぽい、と思う人は、そういう潔癖性・コンプレックス丸出しの態度と、個別の女性のパーソナリティを無視した評価の姿勢を見て「ガキっぽい」と感じているんだろうな。
個人的には処女厨と罵られる人間も不憫だなと思う。その手の人々の一部にとっては、処女・非処女の区分はもう理屈や理性の問題じゃなくて、生理的感覚にまで行き着いてしまってるから。そういう刷り込みを受けて育ってしまった人間は、女性と付き合っても幸せになれる可能性が低いだろうし、そういう感覚・感性を持っているということさえ非難の対象・未成熟の証とされてしまう、というのはあまり愉快な経験ではないと思う。
今はもうそういう時代じゃないのだから、彼らもそんな前時代の遺物的感情は一種のトラウマと思って諦めるしかないんだろうけどさ。
こう書いている自分の中にもそういう無意識の「処女信仰」めいたものがかなり強く残っていると感じることがあって、物凄いアンビバレントな気持ちになることがある。正直、連中に石が投げられるのなら、俺も石を受ける必要があると考えている。
何故かと言えば、処女性に拘らない、という態度を意識的に持つことは、もしかすると逆説的に自分が処女性を意識している、ということと表裏一体でしかなく、こういうタテマエ臭い態度が、いざというときにブラッドリー効果みたいなことにならない、とは言い切れないんじゃないかと疑っているからなんだが。そういう風に考えると、酷く自分自身に嫌悪感を覚える。もちろん、結婚・恋人を作るという選択をした時に、自信を持って「処女・非処女という属性になど囚われずに彼女を選んだ」という確信があれば、こういう不安感・猜疑の気持ちというのは消えてなくなるのだろうけど、残念ながら今のところその機会には恵まれていない。だから、未だこういう疑念を拭い去ることが出来ずに居る。
女将さんを「にょしょうさん」とか
依存をいぞんって読むのもイラっとするね
まぁ好きな娘のナンバーワンでありたいという気持ちはわからんでもないとして
じゃあお前は好きな娘をナンバーワンにするために
ずっと童貞取っておくつもりでいるのかよとか考えると
やっぱりわけわからないw
じゅうふくってしゃべってるのを聞くといらっとするけどみんなはどうかな。