幸せがどうとかいうより、つまるところ「フラれるのが怖い」のだと思うが
耳が痛いですね。怖いだけだろ?といわれると、それを否定しきれない自分がいます。
相手の気持ちや立場を慮るのはいいことだけどさ、
自己完結しちゃってんじゃん。
耳が痛いです。相手のことを考えるふりしながら自分で完結させちゃってる。おっしゃる通りです。
そのせいか、どこまで行っても結局は自己愛の世界から抜け出せていないのじゃないか?という自問が抜けません。
結局のところ、自分が彼女を好きでいる。そして、その見返りがほしいという苦しみにいるだけの気がします。
身勝手ですね。
要は、想いの伝え方とその後のフォローとかを工夫すれば言ってもいいと思うんだよね。
増田はそれに悩んでるんだろうけど...
彼女の負担になりたくないなぁ。
振られるのも仕方ないし、それはそれでしょうがないと思うんだけど
でも自分自身の自己満足のために彼女が負担になるのはいやだなぁ・・・。
と、言い訳をしている気がします。
結局、やっぱり自分が一番かわいいのか・・・とか、自問のループにまた入ってます。
うじうじうじうじ鬱陶しいというのが自分自身でも思います。
おお ますだよ さんきゅーべりーまっち
ふむふむピップタウロポン、これか。薬局あたりに売ってるのかなあ。明日牛乳持参で探してみるよ。嫁さんによろしく。
カフェインって効くまで結構時間かかるんだ…。じゃあ今までのんだ瞬間(`・ω・´)シャキーンウエップ!!な気分だったのは純粋に味のせいか!おのれ眠眠!いつか捨てる!空びんをごみの日に!
ひえぴたは予想外。天才だ。
明日から凍えながら立ち打ちする俺を見かけてもそっとしといてください。
ありがとう、明日もがんばるノシ
「女から優しいと言われる男はモテない」「女の『優しい』という言葉は誉め言葉ではない」と
よく言われ、非モテ論壇でもしばしば話題に上がるが、
この二つの厳密には異なると思う。
後者のタイプが前者と混同されて「お前の優しさは真の優しさではなく単に弱いだけだ」とか「人間性に欠ける」などと
非難されるのを見ていると、なんだかなぁと思う。
僕が嫌いな日本語のひとつは、「空気が読めない」。空気が読めなくて何が悪いのか、理解できないから。なぜか。
たとえば京都のぶぶ漬けの話はただのネタだ。でもあれは、ぶぶ漬けが出てきたら、そろそろ失礼しますと言って帰らなきゃならない。そういう約束事がはっきりしている。この約束事の集まりが、文化であったり文明であったりする。ぶぶ漬けにまつわる決まり事約束事を知らない人は、京都の人間ではなく、「空気が読めない」非文化的非文明的な野蛮なイナカモノというわけだ。
この約束事の集まりは、都市により社会により集団により違う。それぞれの集団の構成員にとって明白な約束事はあるだろう。それに従わないものは空気が読めないのだろうし、そういう場面は日本に限らずどこにでもある。
他方で、今普通に使っている言葉としてのこの「空気が読めない」といったときの「空気」って、本当に約束事としてはっきりしたものを前提としてるんだろうか。それがよく分からない。
ようはその場その場の雰囲気や人間関係やといったものの総体を読むことが「空気を読む」ということだと思う。でも、その場合に目に見えない、はっきりしないもろもろの「総体」は、当たり前だが時と場によって変わるので、たとえ同じ場所同じ街同じ人の集まりでも、一定しない。つまり空気とは一定のものではなく、常に揺れ動く。だから決まり事約束事がそう明白なわけではない。「空気読め」と言ったとき、不明確で不定なものの何を読めと言ってるんだろう。
空気読めと言うのは、読めと言っている人が考える「空気」を他の人も共有しているように思われて、にもかかわらずこの「空気」を共有しない人間がいる場合だ。見方を変えると、単に「空気」を共有しない者を排除しようとする、あるいは強制的に空気を読むことを押し付けようとしているだけではないか。
ではなんでわざわざこんな回りくどいことをするんだろうか。分からない人がいるなら、教えてやればいい。いや、そう単純にいかないのが人間関係の難しさで直接に言いにくい、というところだろう。だから、明確な言葉にせず、かといって言葉と言外の約束事もはっきりさせず、その場その場の「空気」が尊重されることになるし、その場を支配し最優先され、空気を読めないものはいらないという話になる。
言いたいのは、これってただのコミュニケーション不全でしょうと。
自分が言いたいことを抑圧して、その名目に人間関係を大事にしたいからといって直接的な表現は避けて、ただ「空気が読めないヤツだ」という。で、何が何かよく分からない「空気」に従属させるか、集団から排除する。人間関係を大事にしたいという一見優しさめいた配慮は、本当は意思疎通の努力を欠いたただのエゴイズムでしかない。
人間は、自分の気持ちや考えるために、たとえ伝わらなくても分かってもらえなくても、そこで絶望的な努力をする生き物だ。ただのコミュニケーション不全を空気読めと言いかえてごまかして、それで本当に人間なのか。人間ならば、空気を読まないことも必要なのに。
とはいうけれど、こういうわけの分からない「空気」が尊重される場面があるのは、別に日本だけでないと思う。でも、日本の場合、ちょっと極端すぎやしないか。調子に乗って新聞までこの言葉を使って「KY総理」だのなんだの書いたこともあったけど、それってどういう意味か、本当に考えたことがあるのだろうか。なにも流行り言葉みたいになることはないのだ。
下流より上流の方が偉いよどう考えても。いいよな下流野郎は責任無くて。客に頭下げる必要が無い仕事なんだから待遇がどうのとかグダグダ言うなって感じ。
自宅警備員を甘く見てもらっては困るね。
一気飲みは厳禁。
基本的にカフェインは効くまで30分、効果の持続時間が3-4時間だから、それを計算しつつちょびちょび飲むのが正解。
あとね、
おでこにひえピタ貼って体温下げると、カラダの眠いセンサーが比較的止まる。
あと、動く。基本的にイスに座らない。立ったまま参考書読んだりする。
パソコンも立ったまま打ち込み。
2徹くらいはコレで行ける。
う う う う うううう あと2日だ
はいはい、煽らない煽らない。
さすが、ご自分がニートであるだけに説得力があるw
そうやって煽るとさ、「自分はニートです」と公言しているようなもんだよ。
ほらそうやって煽らない。