Attribute=51についての覚書 - モジモジ君の日記。みたいな。
「自己責任論へと引っ張っていく」ような傾向性を持っている、ということです。そういうところを注意したら、少なくともそういうところに反応しているネガティブ・コメントは減るんじゃないかなっ!と思います。
減りません。グリに向けられている敵意は、まさに純粋なる悪意と呼ぶべきもの。『要は勇気が自己責任』がゴリ押しだと叩かれているのはそこが一番やわい下腹部だからにすぎない。仮に彼が自分の強引さを認めて、態度を改めたとしても、アンチどもは矛先を別のパーツに変えるだけ。アンチのグリに対する憎悪は、もはや彼本人の人格そのものに向けられている。そうして幸か不幸か、グリはそのことを薄々理解しているフシがある。だから絶対的に両者は相容れない。一センチも歩み寄れない。理性や論理の誤謬がなんやかんや、というステージではない。
ではアンチはグリをなぜ絶対に認められないのか。簡単だ。グリという存在と彼に付随する論理を受け入れいたら、アンチ自身が消滅してしまうからだ。ここらへんの問題は結構根深いものがある。何度も言われてることだし、アンチですら度々認めることではあるけれども、グリの持論の根幹部分は常識的に極めて「真っ当な意見」、つまり正論だ。しかし、ぁゃιぃやあめぞう、そして2ch等の匿名掲示板が日本のネット社会に撒き散らし、はてなにも深く根を張っている偽悪精神とも呼ぶべきその風潮は、本来はリアル社会のつまはじきものである弱者のための武装手段だ。要するに、オタクで、運動音痴で、あたまでっかちネガティブ思考の童貞のために醸成された空気。脆弱なアウトローである自らを「努力しなくて、矯正しなくていいんだよ」と肯定し、世間や常識の方を否定する防御装置。それが現在のネットで主流派面して居座ってる匿名文化、あるいはイナゴ文化サマだ。そういう意識が、アンチグリストたちの根底にはある。
もちろん、ケツに.jpの国別ドメインがついたあまねく仮想スペースがヒネクレタ雰囲気に包まれているわけじゃない。実社会の礼儀や論理がそのまま適用される場所も多い。彼らはあくまで自分たちの縄張りで主流派面してるだけだから。ところがはてなは、そういった連中が本当に多数を占めてる場所だった。ダイヤが石ころ扱いされ、石ころがダイヤとして珍重されるような価値観逆転惑星はてな。そんな星に「キレイゴト」や「一般論」という錦の御旗を掲げて侵入してきたのがグリに代表されるポジティブ教徒たちだったわけだ。彼らは何を血迷ったか可哀想な負け(狂)犬ども再教育し、救済してあげようと考えた。
だが、もとよりヒネクレたちは自分たちがダメ人間であることを理解していた。その上で、そのダメダメさ肯定してくれる居心地の良いネット空間にしがみつきたがった。救済など、欲してはいなかった。理解はすれども了解はせず。それがグリ一派にはわからない。ネットも所詮リアルの延長線上であると考え、リアルでの幸せなくしてネットでの幸せもありえないと信じて疑わない。何度も開催されるOFF会は、その信念の現れだ。
これはもう、ほとんど宗教と宗教のぶつかりあいなんだろうね。両者の辞書に「相互理解」の四文字は載っていない。当然だ。元々のスタート地点からして、全く別のところにいた人間たちなのだから。
guri_2さんどうしてわざわざ増田に書いてるんですかw
要は勇気がないんでしょ。 ダイアリーでブックマークに反応するのは「だせぇ」から、直接言及する勇気のないぐりさんは益田でやってんだよ。