2008-08-30

自分の全てをさらけ出せる安心感を求めようとするのだ

「絶対平等主義」、各個人の評価の絶対化、価値相対主義とは、彼等にとって不可侵なものだから、従ってこの日本個人主義は一種の孤立主義となり、その対人関係のあり方は非常に気を遣うものとなる。つまり各個人の価値は全てバラバラかつバラバラなまま絶対的なものだから、それを侵害しないよう――対立しないよう距離の取り方に充分気を付けながら(中略)生徒達は自分の選択した顔だけを使おうとし、それ以外の顔は隠そうとする。従ってお互いに相手がどういう顔を選択しているのかを探り合い、その選択した顔以外には触れないよう気を遣いあう。(中略)それ故、クラスを運営するにあたって、各個人の対立を前提とし、粘り強く話し合っていくという教員からの働きかけは(中略)彼等から最も嫌われる。と言うのも、そのような働きかけそのものが、各個人に対する「押し付け」や「強制」に他ならないと、彼等には感じているからだ。そのように対人関係を全て自分でコントロールしようとする結果、それは非常に表面的なものとなってしまい、生徒自身にも不満を残すものとなってしまう。従ってその不満の捌け口として、ありのままのこの自分を一挙に全面的に受容してくれる存在を見つけようとして、突っ走ってしまう。(中略)つまり、(中略)一挙に自分の全てをさらけ出せる安心感を求めようとするのだ。

(「ele-king」34号「お前なんかとひとつになれるか」より)

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