最後に、誰かをdisる時に気をつけておかなければならないというか、心構えをまとめておく。
まずは、その人に嫉妬心を抱いてはならない。嫉妬心を抱くと、その人を貶めようとする発言ばかりが先行するので、どうしたって身勝手な、幼稚な、また不当な物言いになり、共感を得にくくなる。
それから、「私憤」ではなく「公憤」という立場に立つことも必要だ。例え自分にとってdisりたい相手であっても、そうした立場は一旦捨て、もっと広い立場、広い視野からその人をdisっていくべきだ。これを心懸けられれば、上に挙げた「やってはいけない作法」には引っかからないはずだ。
最後にもう一つ、真剣にやるということだ。何ごとも中途半端では通用しない。disるならとことんdisる。一生懸命、真剣にdisる。そうすれば、そのdisりは多くの人に伝わって、書いた人自身がdisられるようなことはなくなるだろう。
まとめ
- disる時は嫉妬心を抱くな
- disる時は「私憤」でなく「公憤」で
- disる時は真剣に
私憤だから心地よいdisりも存在する。
論破できないってことは思考停止の次点だよ。
だって、そこから議論が成長しないじゃないか。
quoted from 俺
aurelianoのいうdisりよりも、
嫉妬心まんまんで、さらに私憤であり、中途半端さがにじみでるようなdisりのほうが、
たしかに叩かれることが多いと思うけれど、また愛されることも多いんだと思う。
そして、議論を成長させたり、議論に積極てきに関ってるという意味で、後者のほうがずっと価値がある。
おっぱいでたとえると、aurelianoの言うdisりはあかねほたるとか、蒼井そら。
その逆のおっぱいは、北川美果とか、小春ひよりとか、麻美ゆまとか。あと、望月るあなんかも最高です。
ちょっと崩れたおっぱいのほうが、もうおっぱいとしてのおっぱい性がおっぱいなまでにおっぱいで、おっぱいなんです。
崩れ感がどうしようもなくえろく、どうしようもなくいとおしい。ああおっぱい。
だいたいからして、完璧なおっぱいというのは記憶に残らないものである。
そうではないおっぱいのほうが記憶に強烈に残る。そして、記憶の中で発酵し、発光する。
おっぱいは、生命力の象徴であり、そのおっぱいですら完璧なおっぱいよりも不完全なおっぱいのほうが勝る。
この事実をaurelianoは厳粛に受け止めるべき。
しかしまったく、おっぱいは神だ。誰のおっぱいでも神だ。
個人的神は北川美果と望月るあだが、おっぱい自身が女性の神性を表現しているイコンだ。
おっぱいに包まれて生きていきたい。
おっぱいハウスに住みたい。
可愛い女の子のおっぱいを眺めながらグラスワインを傾けたい。
しかし、自らの愛する女性以外のおっぱいは決して揉まない紳士でありたい。
おっぱい紳士。それが私のおっぱい道。
これ、一つの到達点ではあるな。
なんと! 到達点とな! ああ非常に嬉しい、だが私はそこに少し異議を呈せねばなるまい。 何故かというと、おっぱいは恒久的におっぱいたるものではないからだ。 通常のおっぱいは、...
乙w ジークおっぱい!