2008-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20080723070944

「非オタの人に見せたらオタとどのくらい違う感想を持つのか知りたいリトマス試験紙的10本」なら別にいいと思うんだけど、「彼女に見せて反応を見たい10本」という発想が既に非コミュ的だと思った。

そういう設定の彼女が「増田くんってアニメ好きなんだよね。私もアニメにはちょっと興味あるんだけど何かおすすめアニメある?」と聞いてきた場合、それに対して何をチョイスするかというとこから既にコミュニケーション査定対象に入ってるんだよ。

普段彼女といろいろな話をしてれば、どんな傾向のものは大丈夫だけどどういうのは苦手(例えば残酷シーンは苦手とか)なのとか、興味を持ちそうなものとか分かるはずで、そういう自分の傾向を理解してくれてるか?というのを彼女増田のチョイス内容から判断するわけ。

彼女趣味に合いそうにないものを出してきたら「この人私のこと全然分かろうとしてないな」ということになってそこで既に評価が下がる(コミュニケーションの意志が認められないと感じる)と思う。

だから本当だったらこの手のチョイスは相手の嗜好によって千差万別になって、一般化はできないはずなんだよね。

まあそんなのぶっちぎって自己アピールとして「俺はこんなのが好きなやつなんだ」という主張として何がしかを見せるのもひとつのコミュニケーションで、それならまだ彼女の方も「自分とは好みは全然合わないけどどうしてこの人がこれを好きなのかの理由が聞けたらその人を理解するきっかけになる」とか考えられるけど、例えば作品に漂う男のナルシズム感にドン引きしたところで「引いちゃっただろうけどオタってこういうのをよしとするんだよねー。俺は違うけど」とかメタ目線で語られたら、「本当に『俺は違うけど』なの?引かれたからあわてて言い訳してるだけじゃないの?」と思ったり「私が知りたいのはあなたがどんなものが好きなのかであって一般的なオタがどんなものが好きなのかじゃないのに!」と思ったりするんじゃないかね。

その辺のひとりよがりっぷりが「コミュニケーションのため」とか言いながら全然コミュニケーションになってないと思った。

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