前回の「そして出遅れた記事を書く」 http://anond.hatelabo.jp/20080612062145#tb の続きの記事です。
いろいろ反響ありましたが前回及び今回の記事で私が書きたかったテーマは『今回の秋葉原通り魔事件』ではなく『報道機関はなぜアニメを追求するのか』です。
アキバ事件をきっかけとして、一般的なオタク文化の裾野をちょっと齧ってみようか、という論旨の文章です。報道の疑問点の追及です。
自身の分が稚拙過ぎてご理解いただけなかったようです。申し訳ありません。
前回、対象をアニメ好きと報道することによって、報道機関は楽に「その対象となる容疑者は逸脱している人」というレッテルを貼れる。という所まで話しました。
今回はもうすこし掘り下げて考えてみたいと思います。一般論とは逸脱する点もでてくるかと思いますがご容赦ください。
宮崎事件に端を発する報道機関の一連のアニメ・ゲーム叩き行動は、当初事件を起こした宮崎勤を一般人とは差別するために用いられたものでした。
しかしながら、報道機関が知っていたのか知らなかったのかはわかりませんが、アニメ・ゲームを好む層は、思いのほか層の厚いものでありました。
宮崎事件が起こった1988-89年当時まだオタクという層は一般的に認知されておらず、まだその存在は水面下であったといえます。
この宮崎事件報道の極めて高いレベルでのいわゆるオタク(現代で言われるオタク層およびロリコンという異常性癖について)バッシングを経て、水面下で燻っていたオタクという層を完全に炙りだしていきました。宮崎勤死刑囚個人に対する苛烈な報道の結果の副産物として、そういった水面下にあった同好の徒(宮崎勤と同好なのではなくオタク、の意)も彼らは流されるまま報道の矢面に立つ結果になり、いわゆる「魔女狩り」にも似たような社会的排他・排斥感も生まれ、世間一般のアニメ視聴者に対しての見る目は非常に悪化しました。
報道機関は叩くべき対象を容疑者 → オタク一般として叩ける力を手に入れてしまったのです。つまり報道機関から見た被差別者層を作り出しました。
そして報道機関が叩く被差別者は機関の立ち位置上、広義の一般層から見ても被差別者になります。
……彼ら報道団体は営利であるから、視聴率を取るため云々、と続いていきそうですが、それもまた別の話です。
要するにすでに書いた部分ですが この宮崎事件以降、対象をバッシングするために報道機関側が最適な被差別者層を作ったに過ぎないんです、と考えます。前述した刷り込みの効果もあって、とりあえずオタクとして置けば叩けるだろう、と対象をオタク化させます。
そして現在の所「オタク」という単語以上に対象を差別・隔離化でき、一般側から報道が頭ごなしになじれるものはほとんどないであろうことに気が付くのではないかと思います。
(余談ですが「部落」で差別することは報道機関の自主規制項目です。いわゆるタブー扱い(一般側から見ても好ましくないと思われているため))
今回の秋葉原通り魔事件について、報道関係各社は「秋葉原」という単語から「アニメ・ゲーム」を引っ張ってきています(今回の報道の最前面には出ていません:最前面はWorkingPoorの話)。引っ張ってこないとアニメの話にならない筈なんです。ダガーナイフとドラクエが結びつくはずがないんです。
いいですか? これを持ってこれるということは「秋葉原はアニメ・ゲーム」という一般論が世間に浸透していること及び「オタクなら秋葉原」という考えが広まっていること、の二点が必要なんです。
でもですね、アニメ・ゲーム = 悪ではないんです。もちろんアニメファン・ゲーマー = 悪でもないんです。
オタク層を擁護する内容を書きたいわけでもなく、かといって彼らをつるし上げたいわけでもないのですが、一般的な観点から見ればこの「アニメ・ゲーム」をピックアップしていく報道は異常ですよね。
そもそもアニメとこの加藤容疑者の起こした殺害行動には直接的な関係はないのです。
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