2008-05-31

森博嗣が終わる1

この寂しさはなんだろうか。真の意味ブレイクするかしないか、本当にメジャになるかならぬかというこの年に置いて緩慢な引退を隠遁をするということはなんと言えばよいのか。

語られること少なく、売れるだけ売れて、私の老後を彩るがごとくにその言葉は溢れて、それでも私は別れの悲しさを感じずにはいられない。

村上春樹のごく初期の著作で彼は、死んだ作家については大概のことは許せるということを書いた。私はそれを思い出している。私は森博嗣の引退を受け入れられない。そこまで言わずとも、繰り返しになるからくどいと思うけど言いたい。さみしい。

まだ20世紀だった頃、私は渋谷ブックファーストだったと思うけども手にとって読んで、でもそれはあまり心には残らなくて、大学のいくらかそばで日記を読んで、あんまりなものだからずっと封じられたように立ち読みをして、疲れたので買って帰った。今読むと、あるいは誰かが読むとただの日記に見えるかもしれないが、私にはそれは永遠で。

web日記あるいはこの国ではブログ、それの中毒するよな面白さと、なんだろうかもう思い出せなくなってきている。とにかく私を変えた。絶無というくらい爆発的に変わり、それは森と言う人が変えようかなと思いながらも無理そうだったのでやめた出版界への言葉の爆発、そのとばっちりで私は変えられた。主体的に変わったのか変えられたのかということはわからない。

自由奔放我が道を行くのみ。

他人の評価が気にならなくなった。自分のことだけ考えていれば揺らぎは誤差として生きていけるようになった。

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