休みの日を有意義に過ごそう、無駄は排除されるべきだと、計画を立てることが好きなのに、自分で立てた計画に縛られるのに腹が立って結局は何もせずに過ごす。今は毎日が休みなんで、よって毎日が意味のないものとなってしまっている。
日常生活において「無難に、問題を起こすようなことなく、敵意を向けられるようなことなく、過ぎ去って欲しい」と感じながら日々を過ごしている。日常に息苦しさを感じる、日常生活がやりづらいという感じかたは、どこからくるのだろう。
それは、自分を知られたくないからだと思う。なぜ自分を知られたくないのか。それは、多分、自信がないというところから出発している。顔や体型は不細工だし話し方も要領を得ない。そのようないい加減な私は決して他人には好かれないのだろう。そのような諦めの思いがまずある。
人間とはいずれ死ぬのだし、偉人にでもならなければ懸命に生きることに価値を見出せない。自殺の方法は知っているけれど、それは怖い。だったら寿命がくるまでは罰せられない程度に適当にやり過ごすしかない。
潤沢に金があるわけでもないし、よって享楽におぼれてしまえもできない。限られた生活費でやり過ごすしかない。だがしかし、そのような自分を好いてくれる女性がいるわけでもなく、セックスもできない。
女性と性的関係を結んでしまえば、それ以降の自分はどうなるのだろうか。まったく想像できない。
非モテとして、他人に迷惑をかけない程度に、いい加減に過ごすしか、今の自分には耐えられない。だから、社会人として決して褒められるような生き方をできない。
「いい加減であれ」というメッセージがどこからか聞こえてきて、なんとなくやり過ごす日々。ぼくは自分で自分をコントロールできない。
そして、自分が何者かわからないという大いなる不安が襲う。「こんな自分」と思う。自分を信用できない。自分自身をかっこいいと思えない。
他人がぼくのことをクールだと評価するのは、褒められたような気分もあるけど。