2008年01月19日の日記

2008-01-19

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馬鹿女しか見てないというよりたとえ高レベル女であっても無理やり欠点見つけて見下そうとしてるように見えるが。むしろレベルが高そうなのをたたくからこそ優越感感じやすいのかも。

不安

漠然とした不安。具体的な不安。僕には不安だらけだ。「生きていくってのはそういうことなんだぜ!」とマッチョに言われりゃまぁそうっすよね……ハイ弱音はいてサーセン……というしかないんだけどやっぱ不安で仕方ない。

毎日毎日不安で仕方なくてネットにプチ依存してるけど、でもネットで更に不安になってる僕。

なんかアホらしいっちゃアホらしい。

世間とネットのギャップに戸惑いながらどれが本当なのか怯えながら不安になりつつも大きな欲望も捨てきれずなんかよくわかんない未熟な僕。

あんまり考えすぎると、プチンと切れて、「もういいよ僕はそりゃまぁダメ人間ですよでもそれでいいじゃん人間だし」とか開き直ってみるけど、開き直って不貞寝した横からもう一人の僕が「いやでもそれは逃げだろ」とか囁く。

で「やっぱりそうかな」って起き上がる。でも起き上がると不安。ずっと眠っていたい、けど、死にたくない、不安怖い。生きる上じゃしょうがないとか言われても怖いもんは怖い……でも死ぬのも怖い、怖いものばっかり。

ていうか結局突き詰めていくと僕は何が怖いかって死ぬのが怖いんだ。そこから全ての不安が生まれてるんだ。将来の不安とか日本どうなるのとかそういう不安だって結局「僕は生きていけるのか」「死にたくない」ってとこから生まれてきてるんだから、なら、じゃあ、死んでもいいやって心境になれれば一切の不安は消えるのだろうか……と淡い希望を抱いてみるけどきっとそれもここに書けば「そんなのは不可能」とどこかの増田に一蹴されるに違いない。

不安だからネットにきてるけどネットで更に不安になる。また言っちゃった。

不安だからこの気持ちを誰かに多分僕は全面的に肯定してもらいたい、賛成とかじゃなくて、肯定してほしいのである、きっと、たぶん、僕は「そう思う自分」を肯定してほしいのである、賛成じゃなくていいけど肯定してほしいのだ……

それがなぜネットでぶちまけるかというとリアルじゃ言えないからだ

でもネットでぶちまけてもたいてい更に不安要素がでかくなるだけで、「肯定して欲しい」なんて自分の甘い願望は、幻想だったと、瞬時に気付くのだ、多分、これを書いたあとも。でも書かずにいられない。書くとそれだけで落ち着くということもあるから。

これっていったい何なのか?不安げな気持ちをかかえながら泣きそうになりながら探す、

探してるうちに、心理学の用語とかにひっかかって、「あぁこれだ、僕の気持ちはこれだ、僕はこれに該当する!」と当てはまることに喜びを感じる。人間未知なものは不安、怖くなるという、病名とか、心理学名とか、そういう名前を与えられるとだからほっとするのだきっと。そしてその「ほっ」を味わいたくて何度も探す、僕の心をより如実に解説しているような人、所を

繰り返している。でもそれでも不安だ。不安は消えないんだろうきっと、でもだからといってその言葉が何をどう変えるわけでもなく、ただ絶望に浸ることになるだけだ……絶望に浸るというのは逃げている時で、絶望に浸りきってるときは有る意味全部忘れられて逆に……なんかもう書くのも面倒になってきた、不安だし死にたくないがでも人の死なんてほんとあっさりやってくるのだ、信じれば生き返るなんてこともないし霊なんてとてもとても信じられないしやっぱりもうどう考えても人間死んだらただ土に返るそうとしか信じられないのである、思うというよりそうとしか信じられない、霊とか、心だけ残るとか天国とか言われても全然そんなの心から信じられないのだ、むしろ誰か洗脳してくれよ、僕は怖い。宗教に本当はいりたくなるときがある、でもだめなんだ、心の底じゃ神も何も全然信じてないから信じることができない

何がしたいのかわからないな

僕にも分からない

いきたいのか?もうそれもわからないでも死にたくはないんだ

もう考えたくない。何も考えたくない。何も考えたくない。何も考えたくない。

http://anond.hatelabo.jp/20080119225132

 勉強研究には才能も必要だよ。努力だけじゃどうにもならん。

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あなたの頭が悪いのは努力不足です

努力を怠ったのだから自己責任です

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プライベートの充実は仕事の充実。

プライベートで失敗した奴は出世する資格無しって言い切るうちの会社

仕事で失敗したら始末書を書けばいいって、始末書特許10件出願でチャラになる。

http://anond.hatelabo.jp/20080119223253

性別制限だけは止めたら?婦人科の需要もあるだろうし。

それ以外は全部あってもいいと思うけど。

いまさら気付いた。

今更気付いたんだけど、ずっと仕事やるってことは(仕事だけじゃなくて全部にあてはまることだろうけど)、失敗しないように頑張るんじゃなくて、失敗しても頑張るってことなんだね。

新入社員研修の時に似たようなことを言ってくれた人がいた気がするけど、そのときはぜんぜんわかってなかったなあ。

結局自分は、失敗ばかりの自分に耐えられなくて、あとプライベートでも色々あって、もーだめだって辞めちゃったけど。

何が大事って、失敗しちゃう自分を許してなおかつ次失敗しないように頑張る(それでも失敗してもまた頑張る)ってことが大事なんだね。

自分、後悔ばっかりしていて、本当の意味で反省ってしてなかったなあ。

反省するってさ、後悔したりへこんだりすることじゃなくて、次どうすればいいか考えるってことだったんだね。

学士編入を敢えて認めるとすれば

東大法学部で在学中に旧司法試験合格した奴くらいかな。

東大法学部卒業と同時に編入だけ許すとか。

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じゃあなぜ見下してるんだ?それこそメディアに踊らされてるよーな

http://anond.hatelabo.jp/20080119221948

国立だからこそ税金の使い方を考えないと。

国家公務員試験は年齢制限があるのに、医師国家試験は年齢制限が無いのがおかしい。

http://anond.hatelabo.jp/20080119221738

就職した方がいいよ。

文系と言えども国立大なんだから学生の養成には税金掛かってるんだぜ。

君が仮に今年医学部に入ったら、1人18歳の学生が落ちることになる。

つまり、4年分医師として勤められる期間が短くなる医者が生まれるって事だ。

http://anond.hatelabo.jp/20080119220808

それは旧帝大文系今年卒業医学部いこうとしていまセンターうけてる俺へのあてつけか(´;ω;`)

…あてつけ、ってこたぁないな。正直よくわかるわ。それ。

いま半年休学してんだけど、正直もう来年就職したい

今になって思えばMRとかうらやましすぎる。公務員とかいまからやってまにあうかしら

http://anond.hatelabo.jp/20080119221341

それこそ税金無駄遣いだよ。

平均寿命80年として、20年しか診療できない医者と55年診療できる医者のどっちがコストパフォーマンスがいいかは自明。

http://anond.hatelabo.jp/20080119220808

医者一人養成するのにいくら金掛かると思ってるんだ。

30代の自尊心を満たすぐらいなら、18歳の秀才を取った方がいいに決まってるだろ。

医学部受験も一人一生に付き1回に限定すればいいのにな。

それだと本当に頭のいい奴だけが医者になる。

医者の靴嘗めてればいいじゃん。ワープアよりは上だろ。

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いやでもそのエントリ、中身はめちゃくちゃだけどタイトルだけは秀逸だったなあ。思わずひざポン。睡眠時間をとった方がいいよ。

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MR給料がいいのは武田くらいだよ。

他は五十歩百歩。

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三十過ぎたら医学部は実質無理。

学士入学もほとんどは二十代。一般は言うに及ばず。

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親については個人的にはほとんど問題にしていない(と思う)が、別の問題で。

優しい自殺者に対して「死んだら皆が泣くんだぞ。お前がどうこうじゃなくて、皆に迷惑だ。だから死ぬな」と言うのも、本当に「俺らが迷惑だからやめろ」と言ってるのではなく、とにかく「優しいあいつを引き止めるにはどうすればいいか」という問いから導き出された答えなのであろうが、しかしその「本当の想い」が、そんな錯乱中の当人に果たして伝わるのか否か。

(略)

そういった心に余裕が無い人間は、それを「そのまま」受け取り、例えば自殺者ならば「俺は死んでさえも迷惑なのか。俺は死ぬことすらできないのか?俺はどうすればいいんだ?」と尚更錯乱するだけであろう。親のせいで人生狂ったと嘆く人間ならば、「じゃあ私が悪いのか?私は何もしていないのに」と益々自己を責め苦悩するばかりであろう。

(略)

もう正常でない彼らは、優しさゆえに気持ちを汲み取るなんて事はできず、優しさゆえに自己を責めるほうへと進むだけである。お互い優しさが空回りし最悪の結果を呼びかねない。それは皮肉で悲しすぎる出来事だ。

そんな伝わるかどうか分からない事を、ある種正常でない者に伝わってくれと期待してはいけない。相手にはそのまま伝わると考えるべし。そう考えたら、とてもじゃないが自殺者に対し「お前が死ぬと皆その後始末で迷惑だからやめろ」なんて事は言えないだろう。苦悩している人間に、「親のせいじゃなくてお前の責任だ」などと安易に言えないだろう。優しさのつもりなら、それは大間違いだから、今すぐ止めた方がいい。


実際に言われたことがある。さすがに凹んだ。なぜ死ぬ権利さえないのだろうと思った。

理不尽に振ってきた親からのある種の暴力だ、でもこの親たちはそれを変えられないから、自分は変わりたいから、じゃあ自分で変わるっきゃない。それでいいのである。

無理に自分の責任にしたところで、前に動けるどころか、その責任の重圧に押しつぶされ動けなくなるだけである。

空き巣に入られたのを、「防犯カメラをつけていなかった自分のせいだ」と責め続けるより、「空き巣野郎。許せん。しかしとりあえず警察に届け、当面の金をなんとかして、部屋を片付けなければ」と動いた方がよいのである。

これも言われた。あなたが気をつけていれば、と。絶対に認められなかった。どん詭弁を使っても認めなかった。どの国に泥棒より被害者が悪いなんて法律があるんだ、と言い張った。

極論を言えば、恨んで済むならいくらでも他人を恨めばよいのだと俺は思う。ただし犯罪行為はしちゃいけない。自分の心の平穏の為恨むだけなら寧ろ恨んでしまえばよいのである。それはもしかしたら見当違いの恨みもあるかもしれないがこの際それでもいい。なんでもかんでも「自分が悪いんだ」「私のせいだ」そう思いこんだり他人からやたらと「お前にだって非がある」「お前のせいなんじゃないのか」と言われるのはもう端から見ているのもごめんである。そんな事して何になるというのだろうか。


ある意味とても正しい。そして難しい。

被害者であるということは一時であれ、完全に自分が恨める立場に立てる。欺瞞かもしれない。でもそうしないと壊れてしまう時期もある。そういう時期は絶対に必要だと思った。今も思っている。自分が加害者でもある場合は、できれば被害者は全開で恨んでくれていたらとも思う。

でもそれはいつか止めなければ、別の意味で自分が壊れていく、と思う。恨みというものが持つ毒性は、絶望と同じくらいに強いから。

人は恨んでいい。被害者になっていい。自分を守っていい。

でも、責任は持った方がいい。それは多分救いになると思うから。

それについては、まだ考えている。

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