2007-12-23

お見合い

弁当翁に言及して頂いたので。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20071223/1198365900

お見合いというのは意味が変わったなと思った。

もともとの文脈のお見合いはその通りなんだけど、お見合いにはもうひとつの軸があって、

  1. 家や社会的な釣合いの合う者同士を引き合わせていく合理性の側面
  2. そうやって出会った者を生涯の伴侶として受け容れてもいいと感じる感性の側面

このふたつは、セットだが交わらない軸に存在している。特に、現代の恋愛結婚が普及した後のお見合いでは、お見合いが成立するかという問題設定において、後者コントロールがより強くなってる。お見合いの成立において、どちらがより障害になりうるかという意味で、前者は単にそういう話が自分にあるかという縁や運の範疇の問題だが(それだって大きいのだが。弁当翁の指摘したように。)、後者は「駄目なものは駄目」の世界だ。後者パスしないと、そもそも成立しないのだ。

後者パスするとはどういうことか。それは、どんな人が相手でも(社会的に合理的な範囲の相手であるが)、それなりにやっていく/いけるという自信や覚悟である。好きになった人と結婚するのではなく、結婚した人を好きになるのである。こう言うと荒唐無稽な印象を受ける人が多いかもしれないが、人間は案外これを簡単にやってのけるものである。まず、多数の先人達が出来ることを証明済である。しかも少数の特別な人たちでなく、その世代ではごくごく普通の多数派が行ってきたのである。現代に話を限定したとしても、どちらか一方に言い寄られて結婚パターンでも意外と続くものであるし、どん恋愛感情も数年しか続かないという男女の存在を考えれば、その後の数年を先んじているだけで、それほど無茶なわけでもない。もちろん、その後の破綻の可能性がないわけではないが、離婚率は恋愛結婚カップルよりも低いとのデータもある。

なお、話を簡明に見合いの本質をより明確にするために、ここでは恋愛を前提とした出会いの手段としてのお見合いサービス、お断りを前提に多数の出会いを繰り返す紹介サービスのようなものは除いて考えた。

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