結局はネット関係無しで、世の中には「変人」が多いものなのである。
例えば、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」には、ネットのねの字も一般化してない、戦後間もない1950代において、ティーンエイジャーのホールデン・コールフィールドが自らも変人・変態的な目線で世の中の影に居る自分と同じような変人・変態を観察する姿が描かれている。人間というものは、この時代から常に狂った貪欲で滑稽で頭のおかしい存在であるのだ。世の中の部分集合たるネットにおいて、変人が多いのも当たり前のことなのだ。
ネタ元 : 世の中には善人が多い
女性向けのエロゲーって「どう作ればいいのか」ってのが作り手側に全く見えないのではないか?
繁殖能力なんて衣食住の確保された社会に生きる健康的な人間なら、先天性障害を持っていない限りみんな殆ど同じなのでは?
DQNは単に避妊する事ができなかった頭の足りない、どちらかと言うと不健康な部類に入る方で、それを『繁殖能力が高い』だのとあたかも健康的なように表現されては困る。
死ね。
風呂に入りながら考えた事箇条書き
出来ちゃった結婚のタレントの子供の名前が「DQNネーム」だとかで失笑を買っている。
いや待て、よく考えろ。
指をさされるのは自分たちの子供かもしれない。
名前にさえ保守的な分別ある常識人は益々晩婚化して子供を作ること自体を躊躇する一方、異様なプログレッシブさを誇るDQNは性的にも衝動を発揮し20才そこそこで避妊もせず子供が出来て結婚するというエクストリーム人生っぷりだ。
つまり、今後生まれる子供たちが大きくなり小学校に入る頃には周囲は逆にDQNネームの同級生ばかりになってるだろってこと。
いまどき彦左衛門とかトメとか居ないように、孝とか義之とか杏子とか雅美なんて虐められかねないダサネームになり下がり、クラスは聖夜(イブ)や金星(まあず)や純粋(ぴゅわ)で埋め尽くされ※、脱色してなぜか後ろ髪が長い頭の緩い子供に「ダセー」と指差して嘲りを受けるのだ。
DQN名づけするか否かは今や我々に突きつけられたチキンレースなのである!
参考:※実在する微妙ネーム
そもそもセクハラの定義が間違ってる。
セクハラってのは業務を真っ当に遂行できなくなるような性的ないたずらや嫌がらせ。
この件は1回限りのことだし、業務に支障をきたすようなことにはなっていない。
セクハラという言葉があまりにも安易に使われてしまう風潮に憤りを感じる。
また、仮にこの件で業務がまともに遂行できない人が出た、というのであれば、
それは覗いた人だけでなく、やはり更衣室を分けていなかった会社の責任。
いくら使用頻度が低いとはいえ、簡単なカーテンを作って男女を分ける、くらいのことはできただろうし、
あるいは入り口に「女子使用中」みたいな札をつけるくらいのことはできただろう。
そういう対策もしなかった会社の過失を問われても仕方がない。
男女のグループが後ろの席に座っていた。
聞き耳を立てるわけでもなく声が大きくて聞こえてくる。
”不倫”についていろいろと話しているようだ。
集中してみる。
”自分の奥さんがどうも浮気しているようだ。(俺が)まだ気付いてないと思っている。このままつづけるかどうか・・・”
http://anond.hatelabo.jp/20071127013523
大変ね。
もし風邪のようなものだったら、栄養剤を備蓄しておくと、普段から安心できるよ。
病気の時も重宝する。
それ以外の重い病気だったら、よくわからないけど。
卒業が見えてきた今頃になって、猛烈に勉強したくなったぜ。というより卒業が見えたからこそ、だな。
学ぶこと、知ること、何よりわかったときの快感はたまらないものがあって、何にも代え難いものですな。
もしそれを、誰か他者と共有できたなら言うことはないんだがなあ。1人で学んでいても寂しいのだよ。
根拠も提示せず「○○なんじゃないの。」と言われてもわからんよ。