2007-10-28

雑感

本物が本物であるためには本物であるという証明をしなければならない。そうでなければ、例え本物であっても本物だと判断することができない。偽物は自らが偽物であることを自覚しているゆえに、本物であるという証明に力を入れる。本物はおざなりになる。ゆえに偽物の方が本物より本物らしく見えるようになり、偽物に騙されやすくなる。また、精巧な偽物は騙されたことにすら気付かせないのかもしれない。

本物は自身が本物であることを悟られずとも内に秘めた価値を失わぬから、自らを本物であると標榜する必要がない。自身の存在がそのまま価値となる。目の前の包丁は自らの肩書きに関わらずネギを切ることができる。だからこそ、その包丁には価値がある。私の台所ではネギの切れぬ包丁に価値は無い。だから包丁ブランドの証明書など、私には必要ない。使ってみれば分かる。

偽物は本物とは違うが本物を名乗る。そこに隠された意図とは、粗悪品をさばくための口実に過ぎない。偽物が本物よりも高品質である場合があるかもしれない。その場合においてさえ、偽物はあくまでも偽物であり、本物にはなれない。豚肉のハンバーグがどれだけ美味しくても、牛肉ハンバーグにはなれない。

本物は一種の宗教であり、自身の本質ではない。本質の価値が低ければ本物の価値も低い。どのような名工が打ち出した包丁であろうとも、ネギが満足に切れないのであれば私の台所では価値が無い。

そうだ!ネギがうまく切れないのは、この包丁のせいだ!

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