2007-10-26

取れないぶどうはすっぱい。

季節は秋・・・。とある家の庭の木に、葡萄が実るようになりました。それを見た住人の男は、こんなことを考えました。

最近私の庭の木に、葡萄が実るようになった。折角だから一度取って食べてみたいとは思うが、何せ木の上だ。木を登るリスクと、葡萄を食べることによって得られるプロフィットを比較検討し、十分に思慮した上で、葡萄を取るという行為に踏み切った方が良いと考えるのが自然だろう。さて、もしかしたら、木を登っている最中に、落ちて怪我をするかもしれない。もちろん、木登りで落ちるなんてことは、大人の私にはあまり適用できない事例だが、なにせ木登りをしたことのない自分。滅多にないことだとしても 1 割程度の確率は予想しておく必要はあるだろう。怪我をしてしまった場合は取り返しがつかない。近所中の笑い者ではないか。果たしてあの葡萄を取るという行為に、この万が一怪我をしてしまった場合に見合うような価値はあるのだろうか。いや、よほど甘くない限り、補償できるほどの価値はないだろう。そもそも甘いとだって限らない。せっかく取って酸っぱかったら、それこそ時間と労力の無駄である。そのような場合、私は無駄にした時間と労力を取り戻すために、きっと人一倍働かなくてはならなくなるだろう。葡萄が甘い確率と酸っぱい確率が半々だとすれば、私の得る期待値は確実に負になる。そもそも庭の葡萄を取るという行為自体、全く無駄で、価値のない、低俗な行為ではないだろうか。どこか店の葡萄を購入した方が、はるかに安定性の高い行為だと言えよう。そうだ、週末あたり百貨店へ行って葡萄を買ってこよう。ただ、このままでは庭の葡萄の味がわからないから、何かしら私の中で結論を出さなければなるまい。そういえば、葡萄農家が育てたものでなければ糖分が少ないという統計を耳にしたことがある。そう、このようにわざわざ取れないように設計されているような物が、そもそも甘いはずはないに違いないではないか。したがって、あの葡萄は酸っぱいと仮定することが最も妥当である。」

タイトルはイソップ物語より)

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